2015年9月1週号

■社会学

なぜ日本は近現代史を歪曲するのか
戦争はなぜ、起こるかの答えによくでてくるのが、「民族の違い」「宗教の違い」が挙げられる。
しかし、これは違います。戦争は「おこる」ものではなく「おこす」ものであって、人間の覇権欲を満たす手段でもあり、マネーゲームでもあります。

15年戦争のあらまし
1931年の満州事変、1937年の日中戦争、そして太平洋戦争という一連の「15年戦争」の過程で、近衛、木戸が軍と手を握った。太平洋開戦には、勝算がないことから近衛は反対した。近衛内閣は41年10月に総辞職し、変わって東条内閣ができた。天皇は軍部よりの姿勢をとり、41年11月5日の御前会議で対米開戦を12月初めと決めた。木戸、天皇の東条への信任があつかった。
太平洋戦争は41年12月8日の英領マレー半島への上陸作戦と真珠湾の奇襲攻撃によって始まった。開戦からわずか半年後の42年6月のミッドウェー海戦で敗北し、同年8月米軍がガダルカナル島に上陸し、一大消耗戦の末、敗北した。44年6月のマリアナ沖海戦の敗北と7月のサイパン島の陥落は政局を一気に流動化させた。
45年2月近衛は天皇に戦争の終結を主張した。天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい」と拒否した。戦局は悪化するばかりで米軍は45年2月19日に硫黄島に上陸、3月3日にはマニラを占領、4月1日には沖縄上陸、天皇は梅津参謀総長に「なぜ沖縄は地上戦でもっと戦わないのか」と叱責した。5月7日にドイツが無条件降伏した。6月8日の御前会議で「徹底抗戦・本土決戦」が決定した。その後、ソ連を仲介にして和平交渉が決まった。しかし、ソ連はヤルタ密約に基づいて、対日参戦の体制づくりに動き始めており、近衛特使の受け入れを拒否し、7月17日からのポツダム会談に参加(宣言には加わらなかった)していた。宣言の発表は7月26日である。原爆投下命令(スティムソン陸軍長官)は7月25日に出されている。44年9月に天皇が木戸に領土について、「本土は残して」「沖縄、小笠原諸島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度」となってもしかたないと語っていた。
45年8月6日広島に原爆投下され、8月9日長崎に原爆が投下された。
なぜ、広島と長崎なのか。アメリカの爆撃予定地は、新潟(長岡に軍需工場)、小倉(鉄鋼業の町)長崎(国際金融資本家が嫌うカトリックの日本の総本山)、広島(第二総軍司令部があった)は4か所あった。カトリックはユダヤを迫害した、原爆の計画は「マンハッタン計画」と言い、この計画を立てたのはイギリスのユダヤ財閥の王ヴィクター・ロスチャイルドである。
45年4月5日にソ連は日ソ中立条約の破棄を通告した。ソ連は45年8月8日宣戦布告し、満州、樺太、朝鮮、千島に侵攻し日本にとどめを刺した。
近衛と重光は木戸と天皇を説得して「国体護持」だけを条件にしたポツダム宣言の即時受諾という方向に踏みきらせた。「玉音放送」は多くの国民は理解できなかった。国民がその内容をつかむことができたのはアナウンサーの解説だった。高松宮は高田利種少将に「天皇が国民にわびることばはないね」
と語ったというが、たしかに天皇自身の責任ついては何の言及もなかった。詔書は敗北宣言ではなく国体護持宣言である。この詔書の中のどこにも、日本は敗北したとは書いていない。
天皇や重臣グループは原爆投下の批判を全くしなかった。
1975年10月31日天皇と日本記者クラブの会見
アメリカ軍の広島への原爆投下に関する質問:エ この エ エ 投下されたことに対しては、エ エ こういう戦争中で、あることですから、どうも、エ 広島 市民に対しては、気の毒で、あるがやむおえないことと私は思っています。
戦争責任についての質問:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学的方面をあまり研究していないので、よくわかりませんから、そのような問題について答えかねます
この戦争で亡くなった日本人は310万人のなかで海外での戦死者240万人の60%以上は餓死だったと言われている。玉砕し自決し、あるいはジャングルをさまよって餓死していったが、戦争責任者たちは自決した者はいない。戦死者を皇室や重鎮、軍の指導者たちはどう思っているのだろう。日本の戦争の本質的な問題が凝縮されている。皇室や重臣の“無責任”の極致が示されている。

マネーゲーム
アジア支配で略奪した、金、銀等の貴金属は赤十字の船(国際条約で攻撃できない)で日本に持ち帰り、マルフクという金貨に鋳造する。これを現地に送り、物資の購入にあてる。残りの金貨や宝石類はスイスの国際決済銀行に送り、皇室等の秘密口座に入っていく。
青島の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。東条、岸、軍の中枢部たちはヘロインやアヘンの売買で大金を稼いだ。三井、三菱はペルシャからアヘンを仕入れ、朝鮮に送り、それを中国人に売った。このように皇室は日清、日露戦争を通じて多額の賠償金を得て、その一部をスイスの秘密口座に入れていた。皇室は三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネーゲームをしていた。
これを裏付けるものとして、『細川日記』『海外公文書』『GHQ』等の資料がある。
伊沢多喜男氏が父[近衛]を訪問された時のこと「岸は在任中、数千万円から億の機密資金を懐に入れた。鮎川義介、星野直樹(大室一族)の力を利用して、東条を捨てた。岸と東条は国家存亡の時にいかに自分の懐に金を入れるかの競争をしていた」岸信介の財は東条英機の財を大きく上まわっている。岸信介の財産はスイスの秘密口座に入れられた。 〔細川日記より〕
1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円(スイスの口座は含まれてない)。
スイス公文書、イギリス公文書によると原爆投下の翌日に天皇の命令をうけた東郷茂徳(朴茂徳 鹿児島苗代川)は皇后名で赤十字国際委員会に1千万スイスフラン(現在価値33億円)の寄付を申し出た。紆余曲折があったが、スイス国立銀行の「天皇秘密口座」からスイス赤十字委員会に送金された。
スイス国立銀行はいかなる政府の干渉も受けない超法規条項を持っている。
1945年10月〜11月の「昭和天皇実録」によると、天皇は「米国の短波放送で、天皇は飢餓に瀕する日本国民をしり目に莫大な財産を所有して安楽に暮らしている」と報道されたことに対して、「御料牧場」の廃止と「御物とダイヤモンド」を供出することで、海外からの批判をかわそうとした。それをマッカーサーに供出を打診したが、人気取り策であるとみられ門前払いされた。

満州建国之碑
1982年2月に岸信介元首相を会長に擁した「満州建国之碑」の「建設会」を発足したことによって中国側の神経を逆なでした(計画は中止になった)。1972年の国交正常化以降の10年間は「歴史問題をめぐる摩擦は目立たなかった」。中国政府は「日本侵略者之碑」を建てることとなった。
1980年、抗日戦争勝利35周年でも、中国では大規模なイベントは実施されず、『人民日報』にも戦争関連の記事は見当たらなかった。岸信介らの時代錯誤で隣国の神経を逆なでするような無謀な取り組みがなかったら「反日記念館」等建設されなかっただろう。1982年から今日に至る日中間の歴史問題をめぐる対立状況は日本が引き金を引いた。

原発再稼働反対抗議(毎週金曜日開催165回を超えている)や安保等の問題に国民の多くが関心を持つことが大事だと思います。
参考文献:『日本のいちばん醜い日』『昭和天皇の戦後日本』『昭和天皇の終戦史』他

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2015年.9月2週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

『夕日のような真っ赤なトマト』

知人はこう言われたそうです。
「色の表現がうまいですね。」
一瞬、その人が何のことを言っているのか分かりませんでした。だって、知人はデザインセンスが無い!
色彩センスも無い!ですから。

よくよく話を聞いてみると、「会話の中で使う色の表現が上手い」ということでした。
どういうことかというと・・・私はよくこんな表現をします。

「転がった瞬間に、目の前に真っ青な空が見えたんです。」
「北陸の冬の空は一面が重い鉛色なんですよ。」
「私はサウナに入ると眼が真っ赤っかに充血するんです。」

こういう会話の中の出てくる「真っ青」「鉛色」「真っ赤っか」という表現を指して、「色の表現がうまいですね」と言ってくれていたのです。実は相手の頭の中に「色をイメージさせる」ことができると、説得力が増します。

例えば「雪でおおわれていました。」ではなく
「砂糖のような真っ白な雪でおおわれていました。」
の方が絵が浮かびやすいので説得力が増します。

「昨日、食べたトマトは美味しかった。」よりも
「昨日、食べた夕日のような真っ赤なトマトはみずみずしくて美味しかった。」
の方が絵が浮かびやすい、ということ。

少し色の表現に意識を向けるとプレゼンや交渉、会議の場での話し方に説得力が出ます。


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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2015年.9月3週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

『丁寧な人柄』

先日、家内が車でラジオを聴いている時にこう言いました。
「このパーソナリティはいい。番組の最後にその日のゲストと
話したことをもう一度まとめているのがいい。
投げやりな姿勢ではなくて丁寧な人柄が感じられる。」

通常のラジオ番組はゲストとのトークが終了すると
「では、今日はこのへんで!さようなら〜」
と終わる番組が多いのですが、このパーソナリティはゲストとの対談が終わった後に
「さて、今日はゲストの○○さんとこんなお話をしました。
こんな言葉が印象に残りました。また、こんなお話しも楽しかったですね。それではまた来週〜!!」
と、その日の話を総轄するのです。
そこに丁寧な人柄が感じられると言うのです。

その時に私はある著名な講演家から教えて頂いた次の言葉を思い出しました。
「話すときは一通りの説明をしたらそのまま終了するのではなく、最後にもう一度その日の話しのポイントをまとめると相手の頭に良い印象が残りやすい。」

つまり、
「○○○です。※※※です。さて、ここまでにコスト削減について1時間にわたってお話をしてきましたが、最後にもう一度要点をまとめてみましょう。コスト削減のポイントは3つありました。1つ目は・・・。」
というように大切な点を最後の最後でもう一度説明すると、話の内容が受け手の記憶に残りやすくなり、印象もよくなるということ。

交渉、プレゼン、会議では話の内容はもちろん大切なのだけれどそれだけでは画竜点睛を欠く状態なのかもしれません。最後にもう一度総括する・・・これだけで印象がぐっと良くなるのですね。

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2015年.9月4週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

反応の良いキャッチコピーを書くためのコツはお手本となるコピーをマネして、自社に応用することです。今回は雑誌、新聞、サイトや書籍タイトル等で見つけたお手本となるキャッチコピーを紹介させて頂きますので、あなたの会社やお店でのコピー作りの参考として下さい。

■『今、持っている○○。本当に役立っていますか?』

人はルーティーン化していることをなかなかやめられない性質を持っています。
本当にその健康補助食品のおかげで健康なのかどうか分からないのに
「今まで飲み続けているから」
という理由だけでそれを摂取し続ける人は大勢います。

他の税理士事務所の方が安くて面倒見がいいのに、
「今まで付き合っているから」
という理由だけで契約を更新し続ける人は大勢います。

人は行動がルーティーン化していると「止まる」ことができないのです。
だから、既に他社商品を日常的に使っているお客さんの目を自社商品に向けさせるということは
とても難しい。

そんな時、冒頭のようなキャッチコピーが効果的です。
「今、通っている治療院は本当にあなたの身体に合っていますか?」
「今、通っている美容室に本当に満足してますか?」
「その学習塾は本当にお子さんの成績向上に役立っていますか?」

このようなキャッチコピーで行動がルーティーン化しているお客様を一度立ち止まらせることが必要になります。そして、読み手を立ち止まらせてから他社の商品やサービスを使い続けるデメリットを説明し、自社商品のメリット説明をするという順番でボディコピーを構成します。