2016年12月1週号

今月の社会学 近代史U

長州藩…忍者体制

毛利元就は世鬼一族という忍者群を養っていたから、元就にとって幸運極まる多くの暗殺はその忍者の仕業となっている。山陽山陰の地は毛利藩以外でも忍者軍団があった。「はちや」系の忍者で充満していた。
1836年に長州では斉ひろ(なりひろ)、斉元、斉広と3人の藩主が相次いで不思議な死に方をした。
毛利藩は下関を中心とする支藩の長府藩と清末藩においてひそかに養成した忍者に藩主を殺害し、その事実を闇に葬るという奇怪な能力があった。木戸孝允は上忍、伊藤博文と山県有朋は下忍であった。
上忍、中忍、下忍とあり、藩主の権限が無かったため、上忍は藩政の中枢にあり、藩主の上に位置していた。上忍会議が決定すれば、藩主も暗殺される。
滝川政次郎、蜷川新、鹿島fなどによって明確にされていることとして、長州が260年余「関ヶ原の旧怨をはらす」執念を抱き続けていた史実は隠ぺいできない。長州の私怨が日本を占領支配し、壊滅させる明確な目的を持ったイギリスによって巧みに利用されるに至ったその歴史過程は長州明治国家によって完璧に隠ぺいされ、秘密にされている。
伊藤は長崎のグラバー商会(→サッスーン:上海→ロスチャイルド:イギリス)の下僕となって、新式銃や軍艦の購入を画策していた。そして、1866年孝明天皇、陸仁親王暗殺の実行隊長であった。
1867年長州から大室寅之祐を連れてきて、(明治)天皇にすり替えた。
グラバー:ロスチャイルド代理人のフリーメーソン
1842年アヘン戦争(1839〜1842)の結果、中国の実権が清朝皇帝から宋財閥のものとなった。宋財閥はサッスーンの代理人であった。サッスーンはイギリスロスチャイルド家の東アジア代理人であった。上海に拠点を構築したロスチャイルド、サッスーンは日本が欧米列強によって半植民地支配状態に置かれると、まもなくトーマス・グラバーを長崎に派遣して、イギリス系フリーメーソン駐日代表およびイギリスの日本占領作戦の前線総指揮官にした。もちろん当時の日本人は誰も知らなかった。
ロスチャイルド一族について
初代ロスチャイルド(1743〜1812)がヨーロッパ5ヶ国(ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、イギリス)に張り巡らした金融寡頭権力体制の中核であった。初代ロスチャイルドが1812年パリに派遣した息子ヤコブは父親から20万ドルの資本金を与えられた。56年後の1868年ヤコブが死んだ時彼の財産は3億ドルを超えていた。彼の年間収入は4000万ドルであった。
世界の中央銀行を所有している:イングランド銀行、FRB,日本銀行等
世界中の多分野の巨大企業を所有している。
「尊王=倒幕」という言葉がでた背景⇒水戸学となる
明王朝の家臣で朱舜水が日本に亡命し、水戸光圀に認めてもらい大日本史編纂の顧問となる。朱舜水の儒学は朱子学(尊王思想)である。徳川時代の「武士道」には二つの系統があった @「主君押し込め」は藩の殿様であっても、無謀非行非道に走った場合は臣下の総意によって重臣たちが殿様をやめさせる。 A殿様がだめでも臣下は忠誠をつくす。  朱子学は武家政権打倒に大義名分を与えた、Aの流れに理論的根拠を与えた。
徳川幕府は秩序維持のために朱子学を採用したが、朱舜水そしてペテン師平田篤胤が出現したことで、幕末の尊王攘夷の空気がでてきた。
水戸学…学問といえるようなものでなく、空虚な観念論を積み重ね、それに反する生身の人間の史実を否定し、己の気分を高揚させて自己満足する程度のもの。これによって水戸藩自身が分裂した。
攘夷論(じょういろん)の特徴は「誇大妄想、自己陶酔、論理性の欠如」につきる。
長州テロ集団
吉田松陰は水戸学の中心人物 藤田東湖を崇拝した。ちなみに、水戸藩は水戸家出身の一橋慶喜が幕府の中枢に入り幕末の徳川家を支えていく立場となったため、水戸勤王派は動けなくなり、維新に乗り遅れた。
松陰は4歳の時叔父の吉田大助のところへ養子に出された。1年ほどで養父が死去し、その後叔父の玉木文之進が開いていた松下村塾で世話になることになった。
次項へ続く

伊藤博文、山県有朋等は教科書等には門下生として維新の英傑を出したことになっているが、史実と異なる。松陰と彼らは、現代風で言うと“ダチ”“ぱしり”という関係だった。塾は教育する場ではなく、仲間が集まって談笑する場であった。
松陰の思想は国粋主義、侵略主義である。久坂玄瑞:京での残虐なテロ、高杉晋作:英国公使の暗殺未遂、英国公使館の焼き討ち。井上馨:「慶喜が上京し、宮中に参内した時に慶喜を刺し殺す役目を引受けていた」と大川平三郎及び植村澄三郎に語った。天皇の拉致、御所への砲撃も辞さなかった長州のクーデター計画。
文久2(1862)年、木戸孝允たちは京で略奪、放火、暗殺のテロ行為をした。彼らのやり口は非常に凄惨(せいさん)
で身体をバラバラにして公家の屋敷に投げ入れたりした。肛門から竹をつき通し、そのままの姿で市中にさらした。
実質的な開国は1842年、和親条約1854年、修好条約1858年で長州テロリストは攘夷(外国人を入れない)とさけぶが条約締結から10年近くたっていて、外国人排斥がいかに現実離れしているか、分ると思います。
長州明治国家になったら、進んで欧米のモノマネをした。攘夷を唱えていたことと矛盾している。
鎖国〔貿易制限のこと〕という名称や命令は存在しなかった。各国と幅広く国交をもたなかったが、1616年外国船の入港を長崎と平戸に限った。ただし明の船は各地の港に自由に入港できた。1641年オランダの商館を出島へ移設した。実際の貿易窓口は他に長崎、対馬、薩摩、蝦夷の4ヵ所あった。
〔参考:キリスト教禁止令、鎖国〕  『近世日本国民史のなかの「九州御動座記」』 火薬の主原料は硝石で、チリに大量に存在した。ポルトガルがそれを発見して世界貿易にのせた。
豊臣時代にキリスト教宣教師と奴隷商人が一体であり、その手先となったキリシタン大名や豪族などは女、子供を略奪して売買した。これは硝石を買うために行われた。上杉謙信、島津藩等が略奪し、ポルトガル船が運び、東南アジア一帯に売られた。
ポルトガル王ジョアン3世からローマ法王庁に「日本人は火薬1樽と交換に50人の女をさしだすのだから、日本を領有する事ができたら、献金額も増すことができるでしょう」という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が1541年4月7日日本へ着いたのだという。
このような「奴隷」は数十万人ともいわれている。秀吉が「バテレン追放令」を出したのはこの「奴隷」の売買に怒ったからであり、そして徳川期の「鎖国」にも影響を与えた。  宣教師が日本侵略の先兵であったことは事実である。
キリシタン大名が日本の娘たちを捕まえて奴隷としてキリスト教陣営に売り飛ばしていた惨状をなまなましく記述した部分は長州政府によって削除させられた。
暗殺された孝明天皇
将軍家茂の内室は孝明天皇の妹和宮である。即ち家茂と孝明天皇は義兄弟であり、仲がよかった。二人が協調している限り「尊王攘夷派」には障害となっていた。孝明天皇は幕府支持、外交的には鎖国擁護で一言でいえば
佐幕攘夷であった。反幕派が井伊大老の暗殺、安藤老中の暗殺未遂を行ったことに対して、将軍と天皇は公卿及び長州藩の行動を非難した。将軍家茂は大阪城で毒殺された。蜷川新氏の父蜷川左衛門尉親賢は将軍のそばにいたので、極秘事をよく知っていた。蜷川氏は子供の頃に母から聞かされた。毒殺されたのは慶応2年7月20日であったが、8月20日にその死が発表された。急病のため死亡したとなっている。

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2016年.12月2週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『また来よう!』

心理学には初頭効果親近効果というふたつの理論があります。
初頭効果とは一番最初の印象が後々まで影響を与えるというもの。
これとは逆に最後の最後の印象がもっとも記憶に残りやすかったり、
影響を与えることを親近効果といいます。

一般的には相手の関心が自分や商品やサービスに対して低い場合には
初頭効果が効き、相手の関心が高い場合には親近効果が効きます。

たとえば、あなたがよく行くお店や施設を思い出してみましょう。あなたはそのお店の第一印象が悪く無かったから何度か通っているわけです。つまり、そのお店は初頭効果の段階での課題はクリアしたことになります。ここで、もう一度あなたが年に何度か通うお店や施設をいくつか思い出してみましょう。
そして、そのお店の中でも「よく通うお店」「たまに通うお店」があるはずです。

「よく通うお店」は商売で考えると、あなたというお客様をリピートさせることに大成功していることになり、「たまに通うお店」はリピートさせることに成功していないことになります。この違いは何でしょう?
その差は親近効果の影響です。具体的にはお会計の時や別れ際の瞬間です。
私自身が頻繁に通うお店はほぼ例外なく会計の時や別れ際の愛想が良いです。笑顔で心から感謝の気持ちを表し、そしてひと言ふた言気の利いた言葉を投げかけてくれます。つり銭を渡すときに馴染み客としての割引をしてくれたり、お店の外まで見送ってくれます。
そんなとき、心のどこかでこう思うのです「また来よう。」

一方、料理は美味い。しかし、何度通っても新規客のように同じことを聞かれる。何度通ってもお釣りは私の手の上に乗ったことがなく、それはトレイに無造作に置かれる。「ありがとうございました」と言われるが、身体は半身ですでにあちらを向いている。帰る時に目が合ったことがない。
こちらは「たまに通うお店」となります・・・レジとお見送り担当には一番感じの良いスタッフを。


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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2016年12月3週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『感謝しています』

「独創的な考えの持ち主という印象を与えるためには言葉の語彙が重要らしいのだが、
尊敬される語彙と平凡な語彙の差はたった50語しかないそうだ。」

(参照「人を引きつけ人を動かす」レイル・ラウンデス著 阪急コミュニケーション)

あなたは「ありがとう」という言葉を他の語彙でいくつ表現できますか?
「感謝しています」「恩にきるよ」「ご親切にありがとう」「かたじけない!」
「手を合わせたい気持ちだ」「御礼申し上げます」「多謝します」・・・。

あなたはいつも親切にしてもらっている相手に「いつもありがとう」と言いますよね。
でもいつもいつも毎回毎回「いつもありがとう」だけでは平凡だと思いませんか?

「ありがとう!」「恩にきるよ。ホント助かる。」「ご親切にありがとう。いつもかたじけない!」「あなたにはいつもお世話になり、手を合わせたい気持ちだ。」「心から御礼申し上げます。」「あなたほど親切な人はめったにいない。感謝してもしきれない。」 ・・・こう言われたらきっと相手も嬉しいのではないでしょうか。

お客様を褒めるときも同じですね。毎度毎度「いや〜すごい!」だけではいけません。「何度見ても惚れ惚れしますね。」「その迫力には圧倒されます。」「もう、途方もなく素晴らしいです。」「右に出るものはいませんね。」「毎回どえらい驚きです。」「エクセレント!ファンタスティック!ワンダフル!」

大げさに聞こえるかもしれませんが「感謝されて、褒められて、イヤな気持ちになる人はいない」というのは人間の真理です。そして、語彙の差がたった50語あるだけで、あなたは他の人とは違って独創的な人だという印象を相手に与えることができます。
インターネットで「類語」あるいは「シソーラス」で検索すると簡単に語彙を増やすことができます。 さて、あなたの話し言葉、書き言葉は豊富で独創的でしょうか?

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2016年12月4週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

反応の良いキャッチコピーを書くためのコツはお手本となるコピーをマネして、自社に応用することです。今回は雑誌、新聞、サイトや書籍タイトル等で見つけたお手本となるキャッチコピーを紹介させて頂きますので、あなたの会社やお店でのコピー作りの参考として下さい。

■『どうやって私は過失がもとで人気者になったか』

人は単なる成功話は好きではありません。
しかし、人は失敗やどん底からの復活劇には興味を示します。

そのため上記のキャッチコピーのように
「過失がもとで人気者に・・」というストーリーには興味を示します。

「高額納税者になる方法」
よりも
「どうやって私は無一文から高額納税者になったのか」
の方が読み手の興味を引きます。

「私が起業したきっかけ」
よりも
「リストラされた私が起業して、商売を軌道に乗せたきっかけ」
の方が読み手の興味を引きます。

「現役東大合格法」
よりも
「学校一の落ちこぼれが現役で東大に合格したその理由とは?」
といったキャッチコピーの方が読み手の興味を引くことになります。