2017年2月1週号

今月の社会学 近代史W

長岡の戦争

長岡に対する戦いは西園寺公望を総督とし、山県有朋、黒田清隆を参謀として行った攻略である。長岡藩の河井継之助は長州薩摩にも東北諸藩いずれにも味方せず「中立すること」を主張し、会津藩に申し入れ、次いで長州薩摩に申し入れた。会津藩は了解したが、西園寺らは聞き入れなかった。そして、長岡藩に対して不法な戦かいをしかけてきた。長州薩摩は一時、大敗し、西園寺たちは醜く敗走した。しかし、河井は負傷し、兵員が少数であったために、ついに長岡城は開城した。長州薩摩はこの城を根こそぎ破壊して、その恨みをはらした。
会津領内での薩長の残虐非道な行為
会津藩と奥羽列藩の和平工作を受け付けなかった薩長は会津討伐へ軍を進めた。そこにたちはだかったのが二本松藩であった。盟約を守るという武士道で全員死を覚悟して、幼い子供たちまでが薩長軍と戦った。
〔白虎隊〕16〜17歳の武家の男子で構成され、本来は予備部隊である。士中隊、寄合隊、足軽隊からなり350名弱。精鋭の士中隊は1番隊と2番隊となっている。「白虎隊の悲劇は」出撃命令を受けた42名の2番隊が戸の口原で西軍に撃破され、敗走途中で城下に上がった火の手を鶴ヶ城の落城と誤認した。19名が飯盛山で自害したとされることをいう。2番隊は全員が自害したのではなく、自害に失敗したものや、数名が敗走に遅れている。2番隊の生存者は1番隊等と合流し、約290名の白虎隊員が籠城戦に加わっている。
〔朱雀隊〕会津藩の主力部隊18〜35歳、約1,200名 〔青龍隊〕36〜49歳、約900名 〔玄武隊〕50歳以上
長州薩摩の侵攻に対して防衛線を展開した。籠城戦になっても、時々城外へ出ていって戦っていた。
1868年9月22日鶴ヶ城開城。城下には戦死体が放置されていたが長州薩摩はこの埋葬を禁止した。死体がひどい状態となった。みかねた庄屋がこれを埋葬したら、明治民生局に捕縛され、投獄された。
長州薩摩の兵は戦死した藩士の衣服を剥ぎ取り、男根を切り取ってそれを死体の口にくわえさせた。少年たちの睾丸を抜くことをした。むしろや風呂桶に死体をぎゅうぎゅう詰めにし、ゴミのように穴に投げ入れた。これを賎民にやらせ、会津藩士に立ち合わせた。この穴を「罪人塚」と長州薩摩は呼んでいた。
「会津に処女なし」、会津の女性はことごとく長州奇兵隊を中心とした西軍のならず者に強姦された。女と金品を求めて村々を荒らしまわった。ならず者たちは「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々をめぐり強盗、強姦、輪姦して時には殴り殺した
坂下、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約100人に及ぶ娘・子どものほとんどが妊娠していた。医者は可能な限り堕胎した。生まれてきた赤子は長州ならず者のだれの子かわからない。村人たちは赤子を寺の脇の穴に埋めた。「小梅塚」「小塚」と呼んだ。娘・子どもは涙を流しながら乳をしぼったという。
この後、長州薩摩のテロリストたちは最終目的地、箱館へ討伐に行くのであるが、鳥羽伏見の戦いから始まる戊申戦争で彼らの通り道となったところは、残虐非道なことが行われた。
〔参考〕
奇兵隊員は賎民出身者が多く各部落より選抜されて出てきた者で構成されていた。松下村塾出身の者たちに指導され、不動の信念をもって「大室天皇を奉戴して王政を復古し、部落解放の夢を実現する」ということを誓った。彼らは必死になって大室寅之祐を明治天皇にした。このことを知っていた、安政、万延、文久生まれの老人たちは明治天皇のことを奇兵隊天皇と呼んで、その出自と由来を明確に指摘した。
この関係で有力者の出自をたどると、山口県、鹿児島県の朝鮮人集落から政府の重要ポストについている政治家が多い。
山口県田布施と近隣の部落:伊藤博文、難波八助、松岡洋右、鮎川義介(日産)、久原房之助(日立)、宮本顕治、岸信介、佐藤栄作、安倍源基、安倍晋太郎、安倍晋三(生れ:東京)
鹿児島県田布施:小泉純也(小泉純一郎の父、小泉又次郎の婿養子となり小泉姓となる)、東郷茂徳
以上、記したように幕末から明治にかけて、長州・薩摩の極悪非道残虐な行為によって、日本国民はちじみあがってしまった。西南の役によって薩摩は脱落し、長州の天下となった。これによって、日本の恐怖政治が始まった。
次項へ続く

岩倉、木戸、伊藤、大久保等を非難したことである。
長州明治国家
藩籍奉還…廃藩ではない。各藩はそれ以後も存在した。長州に味方した藩及び重臣には領土を与え、長州に反対した藩には領土を奪い、あるいは減らした。新たな封建制度の始まりである。慶喜が朝廷に提出した「権力帰一の上奏」とは全く違っていた。慶喜は「広く会議をして、天下の人々と協議すること」を主張した。それは、封建制廃止を意味していた。小栗上野介は世界の大勢の方向にむけるために、封建制の廃止を唱えた。
姫路藩主酒井氏は「藩を廃して、郡県となすべきこと」を2回も言ったが、長州政府は無視した。
岩倉、木戸、伊藤の長州テロリストは天下を取ることしか頭になく、将来展望は全くなかった。
長州政府は長州に味方した各藩士、または郷士らを登用して、県令として藩(県)の支配者にした。国民に対して専横極まる権力をふるっていた。
中央政府の要職も長州とその一味で独占した。「公論政治」の芽はなくなり「祭政一致」の形式にもどると称して、神祇官を最高の位置におき、天皇は神であるとし、神道の国教化が企てられた。この前後に「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という暴挙の政策をおこなった。それは1300年来の風俗習慣の完全に滅ぼすことであり、信教の自由の抹殺であった。政府はさらに、華族、士族、平民と称する新しい身分制度を作った。800年来の貧乏公家や、田舎の神主や、僧侶や、263人の大名や家老に身分の特権を与えた。彼らは、後には帝国議会で有力な地位に就き、新興財閥の姻族となり、利益や権力を独り占めにした。長州等の策士は自己の権力を保存し、それを更に強化する目的のため、明治4年7月 「廃藩置県」を実行した。封建制度よりさらに悪く、世界の大勢に逆行する専制制度 を意味していた。
幕府時代に小規模な百姓一揆があったりしたが、明治初年から10年までに大規模な騒動が全国で300件近くあった。
西郷の死後1年もたたない明治11年5月に大久保は馬車で登庁するところを6人の壮士に暗殺された。その首謀の石川県士族、島田一郎たちは直ちに宮内省に自首した。斬るべきものとして、大久保、木戸、岩倉の名を挙げた、許すべからざるものとして、大隈、伊藤、黒田、川路利良、三条などの名を挙げた。島田は彼らが人民を軽蔑し、社会を乱し、専横を極めたのを怒り許せなかった。
特権階級を得た長州や公家などは江戸から東京と呼び名が変わった所に来て、広大な邸宅を占領し、まるで侵入軍が外国征服の専横をほしいままにしたごとく、傍若無人の事態を示していた。愛国も、人道も、慈悲も、恥を知ることも、彼らには全くなかった。国民は新占領者にこびをうって、かろうじて身の安全を守り、いまだかつて経験したことのない物価の高騰に苦しめられた。300年来の江戸文化は破壊され、女子は長州等占領者のめかけとされてもてあそばれた。維新とは、破壊であり、日本を混乱に落としいれただけであった。
これまで主流であった歴史認識において、幕末期における政策が稚拙(ちせつ)で維新によって近代化されたと教え込まれてしまった。

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年2月2週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『最もよい説得方法の一つは相手に気に入られること』

『最もよい説得方法の一つは相手に気に入られることである。』
(フランソワー・ド・カリエール)

誰でも、比較的簡単に初対面の相手からも短時間に
気に入られる心理学テクニックがあります。それは次の3つ。
(1)ミラーリング
(2)ペーシング
(3)バックトラッキング

(1)ミラーリング
相手の見た目、姿勢や身振り、身体の動きに自分の動きを合わせます。この時のポイントは鏡に映ったように真似るということです。手の動かし方、首の傾き、表情、座り方などをまるで相手が鏡に映っているようにマネるのです。

(2)ペーシング
相手の声の大きさ、速さ、トーン、テンポ、高低、リズム、明るさ、暗さ、熱意、感情、言葉、呼吸に自分のそれを合わせます。

(3)バックトラッキング
バックトラッキングとはオウム返しです。相手の会話の直前の語尾を繰り返す、相手の会話のキーワードを繰り返す、相手の会話を要約して返す・・といったことを行なうと、相手は無意識にあなたに対して「この人はなんとなくいいな。」「なんとなくこの人とは合いそうだ。」と感じ始めます。

このようなことを行ないながら、相手の話を真剣に聞くと相手の自己重要感が満たされ、好意と信頼性が形成されやすくなり、相手から気に入られることが多くなります。気に入られれば説得も容易になります。


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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年2月3週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『笑顔の自分をイメージする』

プレゼンでも商談でも、接客でも、それを成功させるために
利用できる心理学テクニックがあります。それは想像すること。

「明日のプレゼンはがんばろう」
と声に出して気合を入れても、ふとプレゼンに失敗する自分を
想像すると自信がなくなり、布団に入っても眠れなくなります。
想像力の力は強大です。

だから、言葉に出すよりも「プレゼンに成功している自分」を想像すればいいのです。ちゃんとプレゼンができている自分、ちゃんと商談ができている自分、新規開拓に成功している自分、上手に接客できている自分を想像することが大事になります。

でも、「うまく想像できない」という人も多いので、一番簡単な方法をお教えします。
それは・・・最後の瞬間に笑っている自分を想像すること。

あなたが今までの人生でなにかをうまくできたときのことを思い出してみてください。
おそらく、その時は笑っていたはずです。

だから、プレゼンを上手に行なっている自分をリアルにイメージできなければ、プレゼンが終わって会議室を出る時にニヤっ!!と笑っている自分を想像するだけでOKです。

これだけでも想像力の力を利用して欲しい成果を手に入れる確率が高くなります。スポーツ選手が表彰台の上に立ち、手を振って観客に応えている笑顔の自分をイメージトレーニングするのと同じです。

あなたがそれをうまく成し遂げて笑顔になっている瞬間をイメージすることが大切です。

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年2月4週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

反応の良いキャッチコピーを書くためのコツはお手本となるコピーをマネして、自社に応用することです。今回は雑誌、新聞、サイトや書籍タイトル等で見つけたお手本となるキャッチコピーを紹介させて頂きますので、あなたの会社やお店でのコピー作りの参考として下さい。

■『30代で成功した人たちの人生が変わる儲けの仕組み』

まずこのキャッチコピーはターゲットが明確で良いです。
20代後半から30代に読んで欲しい広告だということが
すぐに分かります。

また、「仕組み」という言葉も読み手が理解しやすい言葉で良いですね。

私はある企業の幹部に次のように言われたことがあります。
「マーケティングとかストラテジーという言葉を使うコンサルタントが
多いけれど、そんな言葉を本当に理解できている中小企業の社長や幹部は
いませんよ。簡単に言うと『売れる仕組み』とか『集客できる仕組み』でしょ。
そういった分かりやすい言葉にしないと相手には伝わらないですよ。」

そのとおりだと思います。
たとえば下記のコピーのうちどれが一番理解しやすく、自分でも実行出来そうだと感じますか?
『30代で成功した人たちの人生が変わる儲けの仕組み』
『30代で成功した人たちの人生を変えたマーケティング』
『30代で成功した人たちの人生が変わるストラテジー』

キャッチコピーを作る時にも専門用語やカタカナ用語を羅列するのではなく、ターゲットが理解できる、
腑に落ちる言葉を使うことに注意を払うことが大切です。