2017年6月1週号

今月の社会学 近代史[

長者の移り変り
1848年(嘉永元年)ペリー来航の5年前  長者は大阪の両替商が巨富を誇った
両替商…鴻池善右衛門、加島屋九左衛門、天王寺屋五兵衛、住友吉次郎、鴻池善十郎、鴻池善五郎、平野屋五兵衛、加島屋作兵衛、北前船の豪商…銭屋五兵衛、酒蔵…鹿島屋清右衛門
1875年(明治8)  長者は呉服商と両替商であった
両替商…鴻池善右衛門、天王寺屋五兵衛、茶屋四郎左衛門、住友吉次郎、平野屋五兵衛
呉服商…〔越後屋〕三井八郎右衛門、〔大丸〕下村彦右衛門、〔白木屋〕大村彦太郎
1908年(明治41)  長者は三井、三菱、住友の三大財閥。薩長の悪策士。薩長土肥の西方の旧藩主
財閥…岩崎弥之助、住友吉左衛門、岩崎久弥、三井八郎右衛門、鴻池善右衛門、渋沢栄一、大倉喜八郎、三井高保、三井八郎次郎
薩長の悪策士…井上馨、山縣有朋、松方正義
旧藩主…島津忠済、島津忠重、毛利元昭、山内豊景、鍋島直大、黒田長成、細川護成、酒井忠道
薩長明治政府がつぶした大阪の両替商
大阪の両替商は徳川幕府と親しく、日本の経済力を握っていた。鴻池善右衛門を中心とする豪商たちは新撰組と会津藩に対して、7万両を出資した。鳥羽・伏見の戦いでは炊き出しを行った。
薩長政府は明治元年5月に銀目停止(ぎんめちょうじ)を発令して、関西の通貨である銀貨を廃止したことで大阪の両替商は銀が使えなくなった。また、1871(明治4)の廃藩置県によって、藩への貸し付け金を帳消しにされて、大阪の両替商は一斉に倒産に追い込まれてしまった。そして、薩長は三井を味方につけた。
三井財閥誕生の由来
江戸の三井両替店は勘定奉行の小栗上野介から軍費として莫大な資金の上納を命じられ破たんの危機に直面した。その時、かつて小栗家の知遇を得ていた両替屋の美野川利八に三井の番頭が目をつけ、小栗との交渉にあたらせた。美野川は1860年に目付の小栗から「万延小判改鋳によって、天保小判1両が万延小判3両余りと交換する」というインサイダー情報を得て、天保小判を買い付けてぼろもうけをした。美野川は小栗に「三井を殺さず、幕府は三井を利用すべき」と説得して、御用金を大幅に減額させることに成功し、三井は生き返った。その後、小栗は横浜貿易の資金融資を三井に担当させたので、三井は公金を扱う特権を得た。三井は美野川の商才を認めて雇い入れた。三野村利左衛門と改名し金融担当を命じられた。後の三井銀行の礎となった。
三野村は幕府最高の知恵者・小栗上野介が罷免されると徳川幕府に人材なしと幕府を見限った。
1865年から三井は薩長と接触し、三井大阪店の番頭・吹田四郎兵衛が薩摩の大久保利通と通じた。三野村は薩長政府は大言壮語をはく間抜けで財務を知る者がいないことを見抜いていた。金を貢いでおけば政府の金庫をもらえることが見えていた。
政府に船会社、貿易会社、銀行を作らさせて、実質の経営を三井の番頭が動かすようにした。
幕府は外国貿易のため横浜を開発した。商人が土地を所有することは認めなかった。明治に入って土地の私有化が認められ、明治5年から農民への借用料のわずか5年分で土地を買えるようにしたため、商人は競って土地の買い占めをし、横浜大地主が続々誕生した。

三菱財閥誕生の由来
土佐藩にはアメリカ帰りの中浜万次郎、その聞き取りを行った河田小龍から西洋事情を学んだ後藤象二郎は殖産興業のため長崎に土佐藩営の開成館を創設した。ここを窓口に欧米から船舶や武器弾薬類の輸入を始めた。坂本龍馬は薩摩藩の援助で長崎に亀山社中を設立して通商航海業を始めた。
1866年薩長同盟が成立すると、1867年4月、土佐藩が亀山社中を海援隊と称し、土佐藩の所有として龍馬が隊長に任命された。この時に岩崎弥太郎が長崎へ行った時、後藤象二郎が酒池肉林の生活を続けて、土佐藩が外国商人に巨額の借金を作っていた。借金の取り立てに後藤は逃げ、岩崎が後始末を引受けた。岩崎は土佐藩所有の船11隻のほか、この商会の財産を全てタダでもらう約束をさせた。
開成館長崎出張所を長崎土佐商会と社名変更した。
岩崎は土佐藩所有の海援隊と提携して、1867年11月15日龍馬が暗殺されると、後藤が長崎に回送した商品代金16万両と龍馬から託されていた7万両を岩崎が全部フトコロに入れてしまった(着服した)。
大阪にも土佐商会があったので岩崎は大阪に移った。後藤が外国商に作った借金30万両は土佐藩の借金である。同じ時代に薩摩、長州も外国商に莫大な借金を作っていた。この借金返済を免れるために薩長の悪策士は廃藩置県を行った。藩が消滅したので返済義務がなくなった。
薩長政府は藩札の引換を廃藩置県を布令した日の相場で引き換えることを発表した。これが実施されれば暴落していた藩札は急騰することになる。布令が出される前に(インサイダー情報を得て)岩崎は豪商から金を借りて、買えるだけの藩札を買い占めてぼろもうけをした。藩札引換の提案者は郷純造で息子の郷昌作が岩崎の養子に入った岩崎豊弥である。
岩崎はこの巨額財産の受け皿となる会社を設立した。また、社名変更を10数回繰り返した。また、土佐藩の商業関係の重要書類が高知県掛川町南河原で焼却された。それは莫大な公金を一銭も支払わずに岩崎のフトコロに入れた(横領した)ことがばれないようにするためである。
岩崎弥太郎の弟・弥之助は後藤象二郎の娘・早苗と結婚して、秘密がもれないようにした。
日本郵船
明治7年5月22日に西郷従道が台湾侵攻をし、三菱が軍事輸送に従事した。明治8年5月1日政府はおかしな政策を打ち出した。@三井らが出資して半官半民の日本国郵便蒸気船会社が国有化されたA政府は民間の海運会社を保護(補助金)する。ところが直後の6月、日本国郵便蒸気船会社が解散に追い込まれた。これは大久保利通が補助金をなくしたためである。経営者は大久保に買上げを要請した。政府所有の財産を政府が買上げる(おかしな話である)。同年9月15日、政府は日本国郵便蒸気船会社から買上げた船を三菱に無償払下げをし、その上今後15年間、運航費助成金25万円、海員助成金1.5万円を毎年交付するというものであった。明治10年2月に始まった西南戦争で岩崎は大久保に働きかけ70万ドルの補助金を出させ、外国商から汽船を購入した。西南戦争が終結すると、無償で三菱に払下げした。これらは岩崎と大久保の特別な関係によるものである。
長州と組んだ三井が動きだした、明治14年に渋沢栄一と益田孝が発起人となって船会社を設立した。
明治15年に政府の肝いりで、長州の品川弥二郎が共同運輸会社を設立し、渋沢栄一と益田孝も発起人になっていた。そして、この2社が合併して「共同運輸会社」となって開業した。
郵便汽船三菱対共同運輸(三井)の熾烈な戦いが始まった。値引き競争で両者とも運賃を十分の一まで引き下げるところまできた。このままでは両社が共倒れになるため、政府が介入し、1885(明治18)年9月29日に合併して日本郵船が誕生した。次月へ続く

298

◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年6月2週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『25秒で好かれる挨拶』

以前の私は第一印象があまり良くないと思っていました。特に初対面の人と会う時は険しい表情になっていたように思います。「オレは人付き合いがヘタだなあ」と思っていましたし、それを指摘されたこともあります。

ところが、ここ数年は自分でも驚くほど初対面の相手から好かれることが多くなり、しかも「さわやかですね」「一緒にいると楽しそうです」などと言われる機会が極めて増えました。それは初対面の人に次のような挨拶をするようになってからです。
『心の、目で、笑い、握手をして、身を乗り出す!』 具体的には下記の順で挨拶をしています。

(1)「心の」
心臓を少し前に出す意識を持って相手に向きあいます。
相手に対する気持ちがオープンになります。
(2)「目で」
次に相手の目に映る自分を探すイメージを持って相手の目を見ます。
(3)「笑い」
そして笑います。私は「前歯を出す」という意識で笑顔を作っています。
(4)「握手をして」
名刺交換をする時に握手をします。
(5)「身を乗り出す」
名刺交換の後は相手の方が1人の場合には半歩斜め前にでてお互いの身体が対面(正対)しない位置に動きます。相手と少し斜めの位置に立つ感じです。そして、相手との距離感を縮めて少し近づきます。

自分は第一印象が良くない・・・と思っている方はぜひ使ってみてください。相手からの反応がとても良くなりますから。(3)と(4)を実行するだけでも相手の反応が変わることに気づくはずです。


299

◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年6月3週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『ちゃんと話を聞け!』

ある、有名な講師の講演会に参加したときのこと、講演中にその講師が 「ちゃんと話しを聞け!」
と大きな声を出しました。

会場には一瞬で緊張感が走りました。するとその講師はニコッと笑ってこう言いました。
「・・・と言われたんだよね。最初に営業に行った時に。
 あの時は怖かったなあ。」

つまり、その講師が以前に営業に出かけた時にお客様から「ちゃんと話しを聞け」と大声で怒られたことがあるという話です。決して、講師が講演の参加者に対して怒っていたわけではありません、表面上は・・。

しかし、私はこの講師は心理学の引用というスキルを使ったのだと思います。引用とは自分以外の人の発言を事例として取り上げて紹介することですが、人は直接話をされるより、引用された言葉を抵抗なく受け入れる傾向があります。

前述の講師は会場内がざわついていることに気がついたので場を引き締めようとしたのだと思います。
その時に「静かにしろ。オレの話を聞け!」とは言えません。だから、「以前に訪問した営業先のお客様」の言葉を引用して「ちゃんと話しを聞け」と伝えていたのです。

「さすが、有名講師、場を引き締めるスキルを気づかれないように使っているな」 と感心しました。

セールスや交渉でも強調したいことは『すでにご利用のお客様からはこんなところが素晴らしいという声があがっているんですよ』というように “引用”で伝えると、相手に伝わりやすくなります。

300

◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年6月4週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

反応の良いキャッチコピーを書くためのコツはお手本となるコピーをマネして、自社に応用することです。今回は雑誌、新聞、サイトや書籍タイトル等で見つけたお手本となるキャッチコピーを紹介させて頂きますので、あなたの会社やお店でのコピー作りの参考として下さい。

■『米農家の父が絶賛』

このキャッチコピーは炊飯器の広告で使われていたものです。
「米農家の父が絶賛した炊飯器です」という紹介の仕方ですが
たしかに炊き上がりがおいしそうですよね。
いくつか応用してみましょう。

「英語教師の父も絶賛。」
というコピーから英会話教材の紹介につなげることができます。

「漁師の父も絶賛。」
というコピーから干物・海産物の紹介につなげることができます。

「調理師の母も絶賛。」
というコピーからお惣菜の紹介につなげることができます。

「大工の父も絶賛。」
というコピーからリフォームの紹介につなげることができます。

「歯科医の父も絶賛。」
というコピーから歯ブラシやフロスの紹介につなげることができます。

パターンとしては「プロの評価+商品」というキャッチコピーの書き方です。