2017年7月1週号

今月の社会学\

住友財閥誕生の由来
財閥の中では最も古い商業歴がある。貴金属の生産、販売で財をなした。3代目の時に採掘分野に進出するため銅山開発に着手し、4代目の1690年、別子に銅の大鉱脈を発見した。住友家は江戸時代全期を通じて長崎貿易で屈指の貴金属商人となった。
慶応4年1月(明治元年)の鳥羽・伏見の戦いで、勢いづいた土佐藩が四国一円の武力征服に乗り出した。別子銅山が土佐藩の川田小一郎によって差し押さえられることが分かった。別子銅山支配人・広瀬宰平が川田の陣屋に行き「無謀な行動で国家の財産を無にしないように」説得した。川田は三条実美の説得工作をし、広瀬は岩倉具視の説得工作をした。「別子は住友家のものである」との許可がでた。
この功績で広瀬は住友友親から経営の全権を委任され、フランス人技術者を招いて、最新技術を導入し、新居浜に大製錬所を建設した。当時はまだ住友家は財閥ではなかった。明治11年に薩摩の大実業家五代友厚と組んで大阪商法会議所を設立した時から、広瀬は大実業家への頭角を現し始めた。五代は薩摩藩の中では最も早くからヨーロッパを視察して、才覚を持っていた。全国の金・銀・銅の鉱山を経営して万を数える労働者を傘下に持つ鉱山王となった。
広瀬は初代総理事となって、主人の住友友親に、京都の九清華家から徳大寺隆麿を婿養子にして、15代目住友吉左衛門を名乗らせた。住友家は華族と姻戚関係を結ぶことによって、明治政府に橋頭堡を築いた。また、三井家、岩崎家とも姻戚関係を結んだ。そして、財閥の仲間入りをした。
広瀬宰平の甥・伊庭貞剛が住友2代目総理事を継いで、明治17年に広瀬と伊庭が関西財界を糾合して、大阪商船を設立した。明治28年に伊庭によって住友銀行が設立された。

安田財閥誕生の由来
安田財閥創始者の安田善次郎は富山から出て、1863年日本橋で戸板1枚を敷いて、小銭を並べるだけの両替屋を開いた。1866年に日本からの金貨流出を儲け口にして、外国商からの口銭によってかなりの財を蓄えた。明治2年5月28日、明治政府は「これから新貨幣を鋳造し、紙幣の発行を停止し、明治5年の期限をもって、現在使われている紙幣を新貨幣に交換する」と布告を出した。これは明治政府が発行した紙幣が全く信用されず、暴落して、100両が38両の値打ちしかなかった。100両紙幣が額面通り100両と交換されるとの政府情報を布告前につかんだのが安田善次郎であった。安田は暴落した紙幣の買い集めに全財産を投じて、1万両ほどを手に入れた。
三井の三野村利左衛門、三菱の岩崎弥太郎そして、安田善次郎で3人目になるが、3大財閥がいずれもお上の政策を事前に知り、同じ方法で最初の階段をのぼった。
安田は不良経営の銀行を買収し続けた。明治13年安田銀行を開業した。戦後の財閥解体で安田銀行は富士銀行となり、現在のみずほフィナンシャルとなった。東電、水戸鉄道、帝国ホテル等の設立や経営をした。

大倉財閥誕生の由来
大倉喜八郎は新潟県新発田の豪商出身。幕末に18歳で江戸に出て、鉄砲商人となって、戊辰戦争で官軍に武器を売り巨財をなした。台湾出兵、西南戦争、日清戦争と戦争があるたびに軍ご用達商人として富を得た。大倉組商会土木部が後の大成建設である。
西南戦争の軍事支出は4171万円で事実上、歳出の100%が戦費に使われた。それを三井、三菱、大倉、藤田の財閥のフトコロに全部入った。俗にいう〔死の商人〕である。

全財閥が閨閥となる
明治に誕生した財閥は、財閥一族の子孫同志の結婚により、閨閥が形成された。表面の会社名が違うだけで内ではつながりを持つようになった。
国民の税金が戦争のたびに財閥のフトコロに入っていったのである。また、軍国主義を育てた。
明治14年に松方正義が大蔵卿に就任すると、政府が国民から巻き上げた莫大な資金を注ぎ込んだ官営物がタダ同様の価格で払い下げられた。三井は富岡製紙場、三菱は長崎造船所、古河は銀山・銅山、浅野は深川セメント、川崎は兵庫造船所、大倉は札幌ビール等である。
このように薩長悪策士たちは自ら進んで財閥の利益を考えて動くようになった。それは財閥から袖の下をもらうためであった。
このように金銭第一主義の財閥集団が形成された。それは欧米に追いつこうとする軍国主義と工業思想にあった。福沢諭吉の「脱亜入欧」の言葉に従って、アジア侵略をした。財閥にとっては戦争が起こるたびに莫大な需要が発生し、国家予算が軍需資材の生産に流れ、その利益がそっくり財閥のフトコロに入り増えていった。財閥は国内の振興には尽力しなかった。地方の産業と商人が地方の再興をした。
江戸時代の長者は国内から生まれたが、明治以降は、海外進出によって長者が生まれた。

誤って教えられてきたものとして、民主主義の先駆者ではなかった福沢諭吉。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり…@アメリカ独立宣言から借りたもので、「言えり」は「言っている」の意味  A天賦人権論に反対していた。明治憲法、教育勅語を歓迎し、日本人は天皇の臣子であるとし、「天皇制絶対主義」「皇国思想」を日本人に浸透させた。朝鮮人、中国人に対し侮蔑心をあおり、それが日本人の彼らに対する差別意識を深め優越意識を抱かせる元となった。福沢諭吉は自ら巨大閨閥をつくり、「金を持っている者が社会を支配して何が悪い」と居直った。また、「脱亜入欧」を信奉し、アジアを蔑視し、欧米列強に倣えと白人至上主義を掲げ、富国強兵の思想を固めた。「漢」の国の漢字、「呉」の国の呉服、紙のすき方、儒学、仏教の5大文化を日本に伝え、日本人に初めて文字と紙と思想を与えてくれたのは中国人である。秦の始皇帝の後裔として4〜5世紀頃に朝鮮から渡来した中国人・秦(はた)氏は養蚕技術を伝えて西陣織を生み出し、日本の絹織物の祖となり、四国の長宗我部を名乗り、土佐藩の基礎を築いた。紀元前数百年頃に九州に渡来して、稲作、青銅器、鉄器、焼き物の作り方、金銀銅の精錬法を教えてくれたのが朝鮮人である。朝鮮渡来の文化を東京の弥生町で最初のツボが発見されたことから弥生時代と呼んだ。「伊勢神宮」の氏神は渡来人から生まれた。山口の瑠璃光寺五重塔は大内文化を広めた大内氏は朝鮮の百済王朝の末裔であった。日本の由緒ある寺があるが、その仏教を生み、かすりの技術を伝えたのがインド人であった。インドネシアのバタヴィアやフィリピンのルソンなど東南アジアから呂宋(るそん)助左衛門ら豪商の手を経て、多くの先進文明が入ってきた。日本人は多民族国家である。歴史の無知をきわめたのが、明治維新の功労者といわれるものたちである。
財閥になれたのは、特別な才能や努力があったわけでなく、実際はインサイダー情報を得る、藩の財産をタダで手に入れる、着服、無能な薩長政府にワイロをやる、官営物をタダ同然で払下げを受ける、莫大な補助金をもらう等、薩長の悪策士が自ら進んで財閥の利益を考えて動くようになった。それは悪策士たちのフトコロに金が入るからである。
次月へ続く

302

◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年7月2週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

デキる、デキないは単なる思い込み

次のような心理学実験が行なわれました。
ホテルに勤務する肥満気味の部屋係が2つのグループに分けられました。
一方のグループには部屋の掃除をするとスポーツをしたときと同等の負荷が身体にかかり、
客室を掃除するだけでやせる効果があると伝えておきます。
そして、もう一方のグループには何も伝えませんでした。
三週間後・・・前者のグループのほぼ全員が減量に成功し、
後者のグループは体重が減りませんでした。
(参照:「心を上手に透視する方法」トルステン・ハーフェナー著)
極端な言い方をすると思い込みで結果が異なるということですね。

たとえば、人の前で話をするなんて不可能だと思っている人がいた場合。
これも思い込みですね。自分は大勢の前に出ると「アガるタイプだ」と思い込んでいたわけです。
それは、どこかの時点で「私は大勢の前で堂々と話がデキる」と思い込んだからです。

「デキない」と思い込んでいたら、絶対にそれは「デキない」ですよね。
デキるようにしようと思ったらどこかの時点で「デキる」と思い込まないといけません。
これは精神論ではなく脳の構造の問題です。
脳ミソはデキないと思い込むと「デキない」理由と情報をフル回転で探し出します。
逆にデキると思い込むと「デキる」方法と情報をフル回転で探し出します。
そして、人はその通りに行動して結果を出します。ただ、それだけのこと。
デキなくてもいいことはデキなくても良いのですが、脳の特徴を考えると今はデキないことをデキるようにしたいのであれば、まずはデキると決めること、思い込むことが大切です。
結果を変えるのは自分の思い込み、と言えます。


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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年7月3週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

■『聞き上手はコミュニケーション上手』

M先輩はコミュニケーションの達人です。
以下は私が感じたM先輩の優れたコミュニケーター
としての能力の一部です。

(1)相槌を打つ。
先輩は「ふんふん」「へー!」「そうなんだ」「それから?」
「で、どうなったの?」と会話の途中で本当によく相槌を打ちます。

(2)まとめる。
先輩は相手の話しを聞きながらところどころで「それってこういうことだよね」というように
聞いた話を要約します。

(3)よく笑う。
先輩は話を聞きながら、「あはは~!ひ〜!」とよく笑います。

(4)話を促す。
先輩は家にある写真や本、置物に興味を持つと「これ何?」と訊き、話を聞きだそうとします。

(5)心から興味を持つ。
M先輩は相手の話を非常によく聞いています。数日前に話したことを「この前会った時にこういうこと
言ってたでしょ。あれって・・・」というように人の話をよく聞いて覚えているのです。

実はこれらは心理学やコーチングで学ぶスキルと完全に一致しています。
M先輩はある上場企業の管理職です。やはり、仕事でも人生でも優れたコミュニケーターは多くの人に好かれるのですね。

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2017年7月4週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

反応の良いキャッチコピーを書くためのコツはお手本となるコピーをマネして、自社に応用することです。今回は雑誌、新聞、サイトや書籍タイトル等で見つけたお手本となるキャッチコピーを紹介させて頂きますので、あなたの会社やお店でのコピー作りの参考として下さい。

■『世界のパン』

世界のパン・・ってものすごい大きなスケール感ですよね。
このコピーは街を走るトラックにデカデカと書かれていたものです。

このお店は誰かに次のように言われたことがあるのでしょうか?
「君のお店は世界に通用するパンだから、
 ”世界のパン”と名乗った方がいいよ。」

・・・おそらく違いますよね。

「世界のパン」
「世界のナベアツ」
「神の子KID」
「日本一カレーを愛する街」
「世界一 安さへの挑戦」
「世界一受けたい授業」
といったコピーも自分で命名したはずです。
ただ、じっと座って待っていても誰も
「あなたのお店にはこんなコピーをつけた方がいいよ」
などとアドバイスしてはくれません。
自分で考えて、自分で命名しましょう。
そして自分で世界一、日本一と名乗りましょう。
単なる「漬物」より「世界一頑固なオヤジの漬物」の方が美味しそうに思えるはずです。