2018年4月1週号

今月の近代史18

広島と長崎に投下された原爆
『原爆投下は予告されていた』黒木勇治著
黒木氏は第五航空情報連隊に勤務していた。敵機の行動を監視し、中国・重慶放送、インド・ニューデリー放送を傍受していた。
1945年6月2日 午後7時
こちらはニューデリー。信ずべき情報によりますと、アメリカのスチムソン委員会は、全会一致で日本への原子爆弾投下を大統領に、ワシントン時間の6月1日、勧告書を提出しました。また別の情報によれば、米艦載機約60機が南九州地区の航空基地を空襲し、銃爆撃しました。
6月4日 午後3時
こちらはニューデリー。信ずべき情報によりますと、先般、スチムソン委員会においては、原爆投下勧告を米大統領に進言しましたが、軍内部において軍独自に実験してみる必要が急きょ発生したため、本日、実験準備命令が出されました。実験部隊、実験場所は公表されていません。
7月16日 午後7時
こちらはニューデリー。信ずべき情報によりますと、本日も米軍P51 100機は前日に引き続き東海地方の各都市を銃爆撃しました。
昨日(7月15日)米国ニューメキシコ州アラモゴードで世界最初の原子核爆発の実験に成功しました。
7月27日 午前9時
こちらはニューデリー。信ずべき情報によりますと、先般来、ドイツベルリンのポツダムで行われていた米英支三国合同会議の結果、昨日、トルーマン、チャーチル、蒋介石の三国首脳は日本に対し無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表しました。
8月3日 午前8時
こちらはニューデリー。信ずべき情報によりますと、米軍は来る8月6日、原子爆弾投下第一号として広島を計画した模様です。原子爆弾とは原子核が破裂するものであって、核の破裂にともない光熱を発し、すべてのものは焼き払われます。

『原爆予告をきいた』宮本広三著
宮本氏は広島逓信局に無線技士として勤務していた。
周波数を連合国側に合わせて聞いた放送によると
「8月5日、特殊爆弾で広島を攻撃するから非戦闘員は避難しなさい」という内容だった。
宮本氏は放送内容を上司に伝えた。上司は「敵性情報を聞くとは何事だ」と怒った。
6日朝、上司は宮本氏を呼び「何事も起らなかったじゃないか」と言った。その直後に原爆が落とされた。幸い一命はとりとめたが原爆病と闘い続ける日々を送るようになった。
宮本氏は検閲の厳しい当時をふりかえり「あの頃、ひとことでも敵性放送の内容を言えば、原爆予告を聞いて逃げる前に警察や憲兵隊にひっぱられていた」と自らを納得させている。
広島の原爆投下を予告するアメリカ軍の宣伝ビラが空中散布された。

広島市内には「新型爆弾」のうわさが流れていた。「広島市役所原爆誌」には、当時の市会議員の回想がある。「近く広島に大きなみやげを持っていくから楽しみにして待っていなさい、というビラを敵機がまいた。ビラは憲兵隊によって回収され、その内容は口外してはならない、ということになっていた。いつか流説になった。浮足立った市民もいた。夕方になると周辺部の縁故先に行って仮寝するとか、山間部へ野宿するとかして、翌朝になって帰ってくる者がかなりあった」

当時20歳の高蔵信子さんは芸備銀行本店に勤務していた。宣伝ビラに「8月5日、広島を大空襲する」と予告されていた。しかし、8月になるとアメリカ軍の広島接近回数は減っていた
芸備銀行で原爆を受けた人は、高蔵さん以外、みんな亡くなった。

1945年7月26日、広島上空でアメリカ軍爆撃機4機のうち2機が対空砲火によって撃墜された。当時12歳の木村よし子さんはそれを目撃した。アメリカ捕虜兵を日本兵が旧家へ連行して尋問が始まった。捕虜のなかに日本語が話せた兵隊が言ったことは「僕たちウソ言わない。8月6日、広島焼け野原になる」
木村さんと同様のことを伝えている本がある。『広島原爆戦災誌』によると、捕虜の世話を担当した増本春男さんは、米兵が「おそろしい、おそろしい」という。通訳の見習士官が「捕虜になったから恐ろしいのか」と聞くと「いや、ここにいたら死ぬのだ。近いうちに広島が全滅するような爆弾が投下される。ここにいたら死ぬ」と答えた。
長崎にアメリカ飛行機よりまかれたビラ
即刻都市より退避せよ  日本国民に告ぐ
このビラに書いてあることを注意して読みなさい。米国は今や何人もなし得なかった極めて強力な爆薬を発明するにいたった。今回発明せられた原子爆弾はただその1個を以てしても優にあの巨大なB29 2,000機が1回に搭載し得た爆弾に匹敵する。この恐るべき事実は諸君がよく考えなければならないことであり我らは誓ってこのことが絶対事実であることを保証するものである。
我らは今や日本本土に対してこの武器を使用し始めた。もし諸君が尚疑があるならばこの原子爆弾が1個広島に投下された際いかなる状態を惹起したか調べてごらんなさい。
この無益な戦争を長引かせている軍事上のあらゆる原動力をこの爆弾を以て破壊する前に、我らは諸君がこの戦争を止めるよう陛下に請願することを望む。
米国大統領は先に名誉ある降伏に関する13ヶ条の概略を諸君に述べた。この条項を承諾しより良い平和を愛好する新日本の建設を開始するよう我らはそうすることが諸君のためである。
諸君はただちに武力抵抗を中止すべく措置を講ぜねばならぬ。そうでなければ我らは断固この爆弾並びにその他あらゆる優秀な武器を使用し戦争を迅速かつ強力に終結せしめるであろう。  即刻都市より退避せよ
このビラをもし、天皇の大本営が国民に知らせていれば、被害は最小限にくい止められたであろう。天皇の大本営はこのビラを軍隊、警察、特高、憲兵等に回収させた。そして「アメリカのデマにダマされるな。デマを吹く奴は留置場にぶちこむぞ」とおどしたのである。
広島と長崎に原爆が投下された理由
アメリカの日本本土攻撃にそなえ、1945年4月1日に東日本を指揮する第一総軍司令部(市ヶ谷)と西日本を指揮する第二総軍司令部(広島)がおかれた。
―スティムソン陸軍長官(大統領を超えた権力者)の日記より―
スティムソンとグルーがフォレスタルに日本側との交渉について話した。
私は日本の指導者の一部とグルーを通じて交渉している。ポツダム会議までは時間を稼がねばならない。トルーマンは会議を7月15日以降に延期してくれた。プルトニウム爆弾は実験を要するということになったからだ。そこで、日本側に提案したんだ。「通常爆弾による猛爆とS-1(原爆)による攻撃という形でわからせる」べく、グルーが説明書を送ったのだ。これには時間がかかった。日本側がやっと納得した。それで、第一総軍と第二総軍にそれらしく行動させるということになったんだ。この両軍の設置も私の意向によってできたんだ。

畑俊六元帥(第二総軍司令官)は8月6日午前9時に陸軍社交クラブ「偕行社」で西日本各地の司令官を集めて会議を開く予定になっていた。原爆投下の前夜、県知事、広島市長、政・官・民の大物たちと軍の幹部が集まって前夜祭が行われた。そこで高野知事は原爆投下を知らされた、それで福山へ軍の車に乗せられて難をのがれた。畑元帥とその取り巻き、太宰特高警察課長のトップ連中は無事であった。
広島にいた大勢の兵士たちは爆死した。もう一つ重要なことは、第二総軍が広島市民たちを爆心地近くに動員したことである。「広島原爆の疑問点」「広島・軍司令部壊滅」宍戸幸輔著
(陸軍大尉、第59軍司令部総動員班長 広島で被ばくしたが奇跡的に助かった)その中に書かれている重要なことは「警戒警報が発令されなかった」ことである。

広島に投下された理由は①原爆の破壊力とその影響をみる ②終戦工作:記したように米側の意向に沿って第二総軍をつくり西日本の指揮官を広島に集めて「終戦反対」の声が消えた。
③捕虜収容所は広島には無かった。
長崎を狙ったのは、①三菱製鋼及び兵器工場が有り、軍艦や魚雷がつくられていた。魚雷の80%が生産されていた。②長崎はカトリック教の「東洋の聖地」であった。
※不思議なこと:長崎に捕虜収容所が有り、1,000人ほどのアメリカ人がいたが原爆投下の時には収容所と造船工場から安全な場所へ移されていた。
広島に落とされたのは「ウラン爆弾」であり「ロックフェラー、メロン」が製造した。早い段階で完成していた。長崎に落とされたのは「プルトニウム爆弾」であり「モルガン、デュポン」が製造した。プルトニウムは完成が遅れた。ポツダム会議日程が延期された理由である。
〔参考〕戦争はどうして起きるか、巷では「民族の違い」「宗教の違い」と言われているが、これは間違いである。正解は「金儲け」のためである。誰が一番金儲けしているのかそれは国際金融集団である。それと、戦争をしている国の権力者たちである。

身近なところでは、長崎のグラバーはロスチャイルドのアジア代理人サッスーンの使用人で坂本龍馬、伊藤博文等を利用して、薩長テロ集団に武器を売った。政権が移ったことで日本はファシズム国家となってしまった。1904年の日露戦争では高橋是清は軍資金をジェイコブ(後にはモルガン、ベイカー、ロックフェラーも加えた)から融資を受けた。
日露戦争の戦争債を引受けたのは、クーン・ローブ商会(ユダヤ金融機関)である。
グルーは駐日大使として、10年間日本に滞在した。そこで、牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔、白洲次郎らと関係を持った。→スティムソン日記に関連第二次大戦では、ドイツは米資本で製造された戦闘機で米や連合国と戦った。また、シェル石油から供給を受けた。資源の無い日本がなぜ戦争ができたかというと、闇ルートで米から石油や鉱物資源を買えた。これはモルガン、三菱が介在した昭和通商が行っていた。また、国際赤十字の船が太平洋の委任統治諸島で石油や物資を日本赤十字の船に移し、米との蜜貿易の運搬船となっていた。その代金はアジア侵略した時に略奪した金、銀、プラチナ等の貴金属を赤十字の船で持ち帰りこれをあてていた。残った金や宝石類はスイスの国際決済銀行(BIS)に預けられた。この国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加した。両行とも昭和天皇が株主。

『終戦史録(5)』の中に掲載されている「大井篤手記―天皇制と太平洋戦争」を引用
この中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている
彼らは、天皇はまちがっていると考えました。彼らには驚くべきまでに、機微な情報が―その真実性は私にはわかりませんが―入手されていました。彼らの見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそがれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后がたきつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれができずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。じっとしておられなくなって天皇に訴える。彼らはこの情報を信じておりましたし、また陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものでないと信じられておりました。

戦争というのは権力者たちの身勝手なことで行われるだけで、一番苦しむのは国民である。

見捨てられた被爆者たち 日本政府は「広島と長崎には原爆患者はいない」という宣言をした。また、スイスの国際赤十字が原爆患者に薬を与えようとするのを日本赤十字は拒否した。 日本では敗戦を8月15日としているが欧米では日本が無条件降伏を受諾した8月10日を戦争終結としている。 日本政府は国民に真実を伝えず新型爆弾としか新聞に書かせなかったのに、スイスを通じて「原爆使用は国際法違反である」と米政府に抗議文を出した。原爆投下されることが事前に分っていながら、財産も家族も失った人たちに国際赤十字が提供しようという薬を与えないで下さいという権利があるのか。 マルセル・ジュノー博士 捕虜の身体保全と傷病兵の救護を目的として、8月9日に日本に着いたばかりだった。博士は原爆投下について何も知らなかった。日本の外務省は9月1日に原爆炸裂後の広島の写真を博士に見せた。従軍記者のビルフィンガーが8月30日に広島に到着し、博士に報告を送った 「恐るべき惨状、町の90%以上壊滅、…中略…10万以上の負傷者がまだ市周辺の仮設病院にあって器材・包帯・医薬品の完全な欠乏状態にあり、連合軍からの特命を重大要求として求め、直ちに街の中心部に救援の落下傘を投下するよう要請されたし…緊急行動を要す」 ジュノー博士はこの電文をマッカーサーがいる横浜商工会議所に出向き、将校と面会し将校が 「この電文をマッカーサーに見せたい」と博士に言った。 その5日後の9月7日に博士は呼び出しを受け「米軍が直接救援活動を組織することはできません」しかし「マッカーサーは15トンの医薬品と医療器材をあなたに提供することに同意しました。その分配方法については、赤十字の管理と責任に委ねます」そして「調査委員会は明日広島に行きます。その飛行機にあなたの座席を用意してあります」 ジュノー博士は9月8日岩国に着陸した。そして、日本の医学者の本橋と都築の2名が加わった。 仮設病院の状況は…「血液感染だ、白血球がほとんど消滅している、ガンマー線だ、防御もない、今晩か明日死ぬだろう、原爆めが」と都築教授が言った。我々は大実験室にいて、モルモットの代わりに何千もの人間を解剖しているのではないかと錯覚するほどであった。解剖された器官や、組織学的切開から結果を彼が我々に示したのは、正に彼の情熱的な科学的探究心のゆえである。 松永研究所の松永医師が当時の状況をノートに書き留めておいた。それによると ジュノー博士は患者の傷口やケロイドを入念に診たうえ、被ばくした地点を本人に尋ねた。「もう少し頑張るんですよ。2,3日中に薬がきますからね」と、やさしく声をかけた。 ジュノー博士は、まるで神の使いのように15トンの医薬品を持って現れました。そうして、外科医として患者を診たり、私たちに放射能障害の治療方法をアドバイスしたり、廃墟に DDTをまくよう尽力して下さった。おかげで、どれだけの人が救われたでしょうか。ところが広島の為政者はもちろん、被ばく者にもこの事実は全く知られていないんです。 「ジュノーは東京に帰ると広島を救援することが急務だとするジュネーブへの要請文を起草したが、その電報を打電できなかった。GHQと日本政府の終戦連絡事務局で日本側委員が『広島救援の必要はない、我々が独力でやる』と言ったからだという。」

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2018年4月2週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

『よい仕事とは?』

あなたに質問です。
「よい仕事ができたってどのようにして分かりますか?」

お客様の喜ぶ顔を見ると「よい仕事ができた」と、分かる人もいるでしょうね。
もしかすると自分の中で達成感を感じる時に「よい仕事ができた」と
判断する人もいるかもしれません。

あるいは上司にほめられると、それが分かる人もいるでしょう。自分で決めた計画に沿って、予め決めた目標水準まで到達することでそれが分かる人もいるかもしれません。
さて、あなたはどうでしょう?

自分で達成感を感じたり、自分で決めた計画に沿って実行したり、予め決めた目標水準まで到達することで仕事の成果を決める・・このように自分の感覚で判断できる人を内的基準型と呼びます。

それに対して相手の喜ぶ姿や他者からの評価や成績表のような客観的資料や数字・数値での判断を見たり、聞いたり、感じたりすることによって仕事の成果を決める人を外的基準型と呼びます。

もちろん、時と場合によって内的基準型両方と外的基準型の両方の感覚がある人もいます。

新しい企画やプロジェクトを立案、計画、実行するには、内的基準型の人の方が向いているかもしれません。しかし、お客様の反応を確認しながら仕事を進めるためには外的基準型の人の方が適している場合もあります。

一般的に仕事で決定や判断をすることの多い管理職等には内的基準型が向いており、セールスマンのように相手の反応に敏感であることが求められる場合には外的基準型が向いていると言われています。


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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2018年4月3週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

『柿主体性と確率』

先日の日曜日、私は3人の見ず知らずの人に自分から声をかけました。

1人めは無愛想な反応でした。ちらっとこちらを見ただけ。
2人めは話しかけると、反応があり簡単な会話をすることができました。
そして、3人めはとても愛想のよい人でしばらく話が続きました。

もし、1人めに出会った時点で
「やっぱり、見ず知らずの人に話しかけると、相手も迷惑なのかな」
と考えて、見ず知らずの人に声をかけることを止めると、そこで手に入れた教訓は
「見ず知らずの人に話しかけても良いことはない」
となる、かもしれません。
でも、3人めの人とは楽しい会話が続き、私はとても気持ちが良くなりました。

私は単純なのでその日、こう思いました。
「3人の見ず知らずの人にこちらから話しかければ、そのうちの1人とはすぐに親しくなれるんだ!」
こちらから6人に話しかけると2人と親しくなることになります。60人に話しかけると20人もの
見ず知らずの人とも仲良くなれるわけです。
主体性と確率ですよね。

仕事や人生では1発で当たる!・・・そういうこともあります。
でも、10回やっても9回は失敗するのが当たり前。その時に
「やっぱりダメだ。」
と捉えるのと
「100回やったなら10回も当たるんだ!」
と捉えるのとではその後の生き方が変わってくるのかもしれません。

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◆集客・営業・広告・販促・マーケに役立つビジネスコラム 2018年4月4週号

■集客・営業・広告・販促に役立つ心理マーケティング

反応の良いキャッチコピーを書くためのコツはお手本となるコピーをマネして、自社に応用することです。今回は雑誌、新聞、サイトや書籍タイトル等で見つけたお手本となるキャッチコピーを紹介させて頂きますので、あなたの会社やお店でのコピー作りの参考として下さい。

『本当の○○をしたことがありますか?』

これはあるお店の店頭POPで見つけたキャッチコピーです。
目にした瞬間に私は「ドキっ!」としました。
それほど訴求力があったわけです。

例えば次のようなコピーです。
「本当の胃の検査を受けたことがありますか?」
こう言われると
「えっ、今までの検査じゃダメなのかな」と思ってしまいます。

「売り上げ減に悩む社長さんへ!
本当の経営指導を受けたことがありますか?」

こう言われると
「今のコンサルタントではダメなのかな」と思ってしまいます。

「本当に成績を上げる先生に指導してもらったことがありますか?」
こう言われると
「えっ?今の塾じゃダメなのかな」と思ってしまいます。

人は「今やっていること」「今までやってきたこと」をなかなか変えません。
そんな人の心をうまく動かすことのできるキャッチコピーです。