2020年5月号

今月の社会学 自民党の暴政による憲法破壊 1

憲法って何だろう
憲法とは、国民の基本的人権を確保するために、「権力を縛ること」を目的としている。憲法は国民が国家を縛る
法律とは権力が社会秩序の維持のために特定の個人の権利自由を制約するものである。法律は国家が国民を縛る
憲法は国家の統治や人権などを定めた基本法であり、「最高法規」である。すべての法律、命令、政府の行為などは、憲法に反する場合は効力を持たないと定められている。
一般の法律よりも上位にある。憲法が頻繁に変わるようでは、時の政府の思惑だけで簡単に憲法を改正できたら国民の自由や権利を制限する役割のある法律や命令も政府の都合のよいものに変えることができる。
憲法は「権力を縛る」という目的がある。憲法に従って政治を行わなければならないという考え方を「立憲主義」という。
このため権力者は「縛り」から逃れるために憲法改正をしようとするのである。このような 身勝手な憲法改正をさせないために、厳しい手続が定められている。しかし、長州テロ集団の流れを継承する現政権は戦後 75 年を経過しても独立国家を望まず、アメリカの植民地で満足している。そのくせ憲法に関しては押しつけられたものだから変えなければならないとウソの主張をしている。

日本国憲法の骨子は日本の文化人が作った
鈴木安蔵を中心とする戦後の先鋭的な日本人グループがすでに憲法草案を生み出して、GHQ がそれを土台にして、憲法の内容を日本政府に指示したことは、歴史的に明らかにされている。日本人による日本人のための日本人の憲法であった、というのが厳然たる事実である。
憲法「押しつけ」論の幻より 引用する
マッカーサー3 原則:憲法改正の必須条件としてホイットニー民生局長に 3 原則を示した。 極東委員会が設立されて政策決定する前に、総司令部に憲法改正の権限があるうち改正するため。
1,天皇は国の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務及び権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする。
2,国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
3,日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後はどのような国民的または市民的な政治権力も伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度にならうこと。
「マッカーサー3 原則」でも「国民主権」「天皇の政治への完全無関与」という構想はなかった。

憲法史上、国民主権の宣言規定が登場するのは、アメリカ独立戦争中にできた「すべて権力は人民に存し、従って人民に由来するものである」と記された「ヴァージニアの権利章典」 (1776.6.12)においてである。
独立戦争に従軍した人々のなかのフランス人が母国に持ち帰ったことにより、フランスの憲法は「国民主権の規定」ができている。「ワイマール憲法」にも同様の規定がある。
「合衆国憲法」には「国民主権の規定」がない。「合衆国憲法」に慣れ親しんでいた、マッカーサーやアチソン、ラウエルたちは「国民主権の規定」の必要性、重要性に思いいたらなかった。ア¥メリカ側の憲法構想:日本側に提示した指針
① 衆議院の権威、特に予算に対する権威の増大
② 貴族院の拒否権の撤回
③ 議会責任原理の確立
④ 貴族院の民主化
⑤ 天皇の拒否権廃止
⑥ 天皇の、詔勅、命令による立法権の削減
⑦ 有効な権利章典の規定
⑧ 独立な司法府の設置
⑨ 官吏の弾劾ならびにリコールの規定
⑩ 軍の政治への影響抹殺
⑪ 枢密院の廃止
⑫ 国民発案および一般投票による修正の規定
上記の指針においても主権の所在については、まったく述べられていない。天皇の政治的役割が残されている。

君主制の歴史をもたないアメリカの盲点として、天皇の軍事的特権を奪い、政治的権限を縮小してもなお残る天皇の精神的影響力、権威の利用の可能性、危険性に思いいたらなかった。
明治から第2次世界大戦までの日本は「時の政府」は自己の保身・政策実現に「天皇の権威」を利用して、無責任政策をしてきた。それを完璧に封じ込める道が「天皇の儀礼的存在」=「天皇の政治への完全無関与」である。
そのことをアメリカに思い知らせたのが、憲法研究会草案であった。

1945 年 12 月 26 日に民間の「憲法研究会」が「憲法草案要綱」を首相官邸と記者室に提出した。
12 月 28 日には新聞各紙がこの草案について一面で大々的に報じ全文を掲載し、世間の注目を集めた。
ジョージ・アチソンは、1946 年 1 月 2 日本国の国務長官に緊急の書簡を書いた。
日本国内で発表された「民間の憲法研究会」の「憲法改正草案」が度肝を抜くものでアメリカ政府、総司令部がそれまで考えが及ばなかった内容で憲法研究会独自の発想であった。

研究会草案は以下の書き出しではじまる根本原則(統治権)
1,日本国の統治権は日本国民より発す
1,天皇は国政をみづからせず国政の一切の最高責任者は内閣とす
1,天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼をつかさどる
1,天皇の即位は議会の承認を経るものとす
① 国民主権の宣言→②天皇は政治に関係しない→③天皇の儀礼的存在、という3段階の論が示されている。

憲法研究会草案はアメリカにとって衝撃であった。その意義と先進性を最も正しく理解したのは、マイロ・E・ラウエル陸軍中佐である。彼はスタンフォード・ロー・スクール出身で弁護士資格を持ち、総司令部法規課長として憲法に関する実務のただ一人の責任者であった。 研究会草案が 1945 年 12 月 28 日に新聞発表されるや、1946 年 1 月 11 日には同案への詳細な所見「私的グループによる憲法改正草案に対する所見」を民政局局長ホイットニーと連名で幕僚長に提出している。ラウエル中佐は慎重を期して、政治顧問事務所訳と総司令部連合翻訳局訳の二つの英訳を読み比べながら、この草案の項目に沿って逐条的に批評し、結論として「民主主義的で賛成できる」という高い評価を下している。

ラウエル中佐自身、早くからマッカーサーに従って日本に着任したときから、明治憲法についての研究と、あるべき憲法の構想を進めていた。
彼は「憲法研究会案」が発表される直前に「日本の憲法についての準備的研究と提案」として総司令部に提出した。だが、ラウエル中佐もこの段階では、国民主権と天皇制のあり方については、確固とした考えは持っていなかった。

そのレポートをまとめた直後に、ラウエルは憲法研究会草案と出会った。専門家として研究を進め、真剣にあるべき日本の新憲法像を追及していた彼だからこそ、研究会草案の持つ意義の大きさとずば抜けた先進性を正確に理解できた。
鈴木安蔵を中心とする先鋭的な日本人グループが憲法草案を生み出して、GHQ がそれを土台にして、憲法の内容を日本政府に指示した。これが歴史的に明らかにされている事実である。
故意に事実を無視して「GHQ の押しつけ憲法」というデタラメ世論を生み出してきたのが、 マスコミである。
壊憲を主張する安倍は日本国憲法を「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と言った。
国民主権がまちがい、基本的人権はいらないという発言が自民党からでている。
無知無能の議員、マスコミ、ウソを教えこまれた国民たちはきちんと勉強すれば日本国憲法は鈴木安蔵を中心とする憲法研究会の草案に沿ってできたことが歴史的な事実であることがわかる。

〖参考資料〗国会図書館所蔵
1 憲法研究会「憲法草案要綱」1945 年 12 月 26 日
憲法研究会は、1945 年 10 月 29
日、日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森次郎、森戸辰男、岩淵辰雄が参加した。研究会内での討議をもとに、鈴木が第1案から第3案(最終案)を作成して、12 月 26 日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。また、GHQ には英語の話せる杉森が持参した。同要綱の冒頭の根本原則では「統治権は国民より発す」として天皇の統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼をつかさどる」として天皇制の存続を認めた。また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権、生存権が規定されている。
なお、この要綱には、GHQ が強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文章が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。
2 ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」
1946 年 1 月 11 日
GHQ は、民政局のラウエルを中心として、日本国内で発表される憲法改正諸案に強い関心を寄せていた。なかでもとりわけ注目したのは憲法研究会案であり、ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたものがこの文書である。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案と GHQ 草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959 年にこの文書の存在が明らかになったことで、憲法研究会案が GHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。

日本近現代史より引用
憲法に戦争放棄条項を発案したのは幣原喜重郎だった
1946 年 1 月 24 日の幣原・マッカーサー対談について、1951 年に秘書・平野三郎に語った内容が「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」と題した文書として 1964年に内閣の憲法調査会に提出されていた。それによれば、幣原は、原子爆弾ができた地球は集団自殺に向かっているので、誰かが自発的に武器を捨てる必要があり、「その歴史的使命を日本が果たす」ためにマッカーサーに戦争放棄条項を進言し、その時、日本人の発案とせず、アメリカの発案とするように頼んだ。
1951 年 5 月 5 日のアメリカ上院外交委員会で戦争放棄条項は幣原の発案であるとマッカーサーが述べた証言記録がある。
映画『マッカーサー』 1977 年アメリカ製作幣原がマッカーサーを訪問して「軍国主義者をおさえるために、新憲法に武器保有の放棄を入れるよう幣原が提案し、マッカーサーが驚きつつ感動した」シーンが明確に描かれていた。

世界に広がる 9 条
日本国憲法が公布されて 3 年後の 1949 年、中米コスタリカで新憲法が公布された。その 12 条は「常備軍としての軍隊は廃止する」と明記した。1987 年、市民運動の力が独裁者を追い出したフィリピンで革命の後に作られた新憲法の 2 条 2 節は「フィリピン国は、国策の手段としての戦争を放棄し、一般的に確立された国際法規を国法と認め、平和・対等・公正・自由・協調および諸国民との友好を政治原理とする」とうたった。
1994 年には中米パナマの憲法が 310 条で「パナマ共和国は軍隊を持たない」という改正条項を入れた。
2008 年には南米エクアドルが新憲法を制定し、5 条で「エクアドルは平和の領土である。
外国の軍事基地および軍事目的を持った外国の施設は存在を許されない」とうたい、416 条 には「国際的な紛争の平和的解決を支持する。その解決のために武力による威嚇または武力の行使は、これを拒否する」という条文が入った。
いずれも日本の憲法 9 条の考えと共通している。日本では憲法 9 条は存亡の危機にあるが世界的に見れば広がっている。
中南米の諸国はかつて「アメリカの裏庭」と呼ばれ、米国の言いなりになっていた。エクアドルも米国の言うことを何でも聞く政権が続いた。日本と同じ植民地のような存在だった。それが変わったのは 2007 年の大統領選挙だ。
大統領選に出馬したコレア氏は公約に「米軍基地の撤退」を盛り込んだ。エクアドルの太平洋岸のマンタにある国際空港は 1999 年から米国の軍事基地として使用されてきた。
圧勝し大統領に就任したコレア氏は憲法改正を問う国民投票を実施した。そこに盛り込んだのが「外国軍基地を認めない」「武力の拒否」である。結果は圧倒的多数の賛成だった。
エクアドルの民意にアメリカは引きさがざるを得なかった。
日本国民の大半はアメリカの従属国となることを望んでいないと思うが、自民党政権は自発的に米国の植民地となっていることに執着している。

世界が知る憲法 9 条の重み
日本国憲法の重みを最も理解していないのは自民党政権と憲法とはなんたるかを知らない連中ではないか。
参議院の憲法調査会の議員団が訪米したさい、ブラウン元カリフォルニア州知事は「日本の憲法は、これから非常に戦略的な有利性を持つのではないか。兵器、特に核兵器を世界中が大量に抱えている中で、一つの国ぐらいは非常に考え抜いた役割を持つことが必要だ。米国に、あまりにも礼儀正しくではなく核兵器廃棄を働きかけたらいいと思う」と語った。
被爆国の日本が原爆を落とした米国に対して正面から批判すればいいと、当の米国の大物政治家が勧めるのだ。
世界は、日本人がなぜ日本の憲法をもっと活用しないのか、不思議がっている。

人々が政府に押し付けた
ダグラス・ラミス(政治学者、元海兵隊員、元津田塾大教授)
「日本は半世紀以上戦争していない。アメリカでは戦争をやるのが当たり前だ。9 条ができてから自衛隊は一人の人間も殺したことはない。憲法 9 条は傷だらけだが、なお生きていて成功している」と平和憲法をたたえた。押し付けという批判に対しては「いい憲法はすべて、政府に対して押し付けられる形で制定された。すべての優れた憲法は国民が政府に押し付けた。日本国憲法を政府に押し付けたのは、占領軍と日本国民による一種の短期同盟だった。同一の目的を持ち、政府の権力を制限する憲法を日本政府にのませた。押し付けられたと感じるのは政府の人でしょう。日本や日本国民に押し付けられたのではない。これだけ長続きしているのは、日本の人々が政府に押し続けてきたからです」
さらにラミス氏は現実論を批判して「現実的になれと言うが、戦争であれほど多くの人々を殺したのは誰か。国家です。巨大な軍事力はちっとも安全ではない。沖縄では軍隊が民衆に安全をもたらしてくれた記憶など、まったくない。沖縄が戦場になったのも、日本軍の基地があったからだ。現在は米軍の基地が沖縄にある。もしアメリカがアジアで戦争したなら、アメリカの敵から見れば、沖縄が軍事目標になる」と喝破した。
GHQ のメンバーとして日本国憲法の草案作りに参加した唯一の女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが語った。
「この憲法ができてから、日本は他の国の兵隊を一人も殺さなかった。世界に自慢できる憲法です。憲法 9 条は世界の平和のために必要です。他の国がこの条項をモデルとして見習うべき条文です」
日本国憲法は押し付けだと言う主張には、笑って反論した。「日本の憲法は男女同権をきちんとうたっています。米国憲法にはないものです。つまり日本の憲法は米国の憲法よりも優れています。自分のものよりいいものを押し付けたとは言わないでしょう」
日本政府が作った憲法草案は天皇主権など戦前の憲法とほとんど変わっていなかった。
自民党の壊憲案も「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」などがなくなった。世界中から 200 年以上前に逆戻りしたもので、とても憲法と呼べるようなものではないと非難轟々である。
ベアテさんたちが憲法の草案を作るうえで、大いに参考にしたものがある。日本の民間から出された憲法草案だ。日本政府が出したのは明治憲法ほぼそのままで、あきれたとのこと。
進歩的な学者による憲法研究会の「憲法草案要綱」は目を見張るものだった。 憲法研究会を代表する高野岩三郎は労働組合の先駆者、高野房太郎の弟で、東京帝大の統計学の教授だった。戦後は NHK の会長に就任し、放送の民主化に貢献した。草案をまとめる中心となり「日本国憲法の起草者」と言われる鈴木安蔵は、治安維持法で何度も検挙された不屈の憲法学者だ。戦時中も研究活動を続け、明治時代の植木枝盛ら民権運動家による憲法案を発掘した。
鈴木は「植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』や土佐立志社の『日本憲法見込案』を初め、明治初期の大弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた20余の草案を参考にした。また外国 資料としてはフランス憲法、アメリカ合衆国憲法、ソ連憲法、ワイマール憲法、プロセイン憲法である」と述べている。ベアテさんら GHQ のメンバーと同じように、日本側の研究者も世界の憲法の最先端を取り入れようとした。
GHQ の草案の作成に、この憲法研究会案が採用された。
GHQ で日本国憲法草案を作成する中心となったケーディス大佐は「憲法研究会案と尾崎行雄の憲法懇談会案は、私たちにとって大変参考になりました。実際これがなければ、あんな短い期間に草案を書き上げることは、不可能でしたよ。ここに書かれているいくつかの条項は、そのまま今の憲法の条文になっているものもあれば、いろいろ書き換えられて生き残ったものもたくさんあります」と述べている。
戦争放棄を決めた憲法 9 条の中の「武力による威嚇または武力の行使」の文面は GHQ の創作でも日本側の発案でもない。ケーディス大佐が国連憲章から採用した。

美輪明宏氏が「安倍首相も自民党に投票した人もまず自分が戦地に行きなさい」と一括
戦後 70 年(2015 年)をテーマにしたときの自民党への提言
「人間は失敗を繰り返してばかりいる。安倍さんや、石破さんや、麻生さんにしても、 みなさん、言い出しっぺの責任を取っていただいて、徴兵制になるならば、まずご自分が年齢に関係なく、鉄砲をかついで、鉄兜をかぶって、まず第一線に出ていただく。それから、お子さんも、孫も、兄弟も、それから娘さんのボーイフレンドも、全部一緒に連れ立って第一線に、まず最初に出ていただく。もちろん一兵卒でね」
それほど戦争がしたいのならば、首相自ら親族も含めてお手本を見せてもらいましょう 「それから、それに賛成している選挙民の人たちも、ご自分で支持して選んだんだから、選挙民もまず一家を挙げて、どうぞ出征してくださいって。男の方たちは、ご自分が殺し、殺されにいきたいんでしょ。どうぞ、いらしてくだい。それだけですよ」
当時 80 歳になった美輪氏は長崎で原爆に被曝した戦争体験者である。安保法制について「私は笑ってますね。学習能力がないということでしょう。第二次大戦と同じ。歴史に学んでいないんです。日本は、実は戦争ができない国、不可能な国です。1921 年に暗殺された原敬が言っていたように、日本には何の資源もない。石油も鉄もニッケルも、何も採れない。食糧自給率もいまや 40%を切って、ほとんど輸入に頼っている」「とにかく知力が足りないんです。あるのはやまいだれの方の『痴力』。それと情念。それだけ」安倍首相が安保法制で法制化させようとする自衛隊による後方支援については、「要するに兵站でしょう」「その兵站をたたくのは戦争の常識です。そこらへんのシビアさというのは、戦時中の人間でないとわかりません。戦争ってそれぐらい卑劣なものですから」
「もうひとつ、日本は戦争を不可能にする抑止力を自分たちで作っちゃたんです。
原発です。日本の沿岸をなぞるように 50 数カ所も原発を作っちゃた。今は特攻隊の時代じゃない。ミサイルや無人爆撃機の時代です。原発を狙われたら一巻の終わり」
《参考》「軍隊のない国家」前田朗著によると、世界中で 27 の国が軍隊を持っていません。

小学生から憲法を学ぶ
コスタリカでは何にカネを使えば社会は発展するかを真剣に議論した。その結果は軍事費をそっくり教育費にまわすことだ。そこから「兵士の数だけ教師をつくろう」というスローガンが生まれた。「トラクターは戦車よりも役立つ」。「銃を捨てて本を持とう。トラクターはバイオリンへの道を拓く」。武器や戦車はものを破壊するだけだが、トラクターで畑を耕せば、農民もやがてはバイオリンを弾けるような豊かな生活を送ることができるという意味だ。平和を叫ぶだけでなく、バイオリンを挙げたところに民度の高さを感じる。幼稚園から大学まで教育無償を実現した。給食も無料だ。2000 年には識字率 95%を達成した。医療費が無償だ。社会保障制度が整っていない米国から多数移住している。
コスタリカでは小学校に入学したときから憲法を教えている。「だれもが愛される権利を持っている。この国に生まれた以上、あなたは政府や社会から愛される」と教えられる。
基本的人権を小学1年生でもわかる「愛されて」という言葉で習うのだ。しかも「もし自分が愛されてないと思ったら憲法裁判所に訴えて、政府の政策や社会のあり方を変えることができる」ことも習う。
人権という人間にとって最も大切な一点を学校生活の最初にしっかりと頭に入れる。政府や社会は一人一人の人間の人権を守るべき存在であること、おかしいと思ったら行動で訴えるべきことも、子供の心に根付く。日本では違憲訴訟はなかなか起こすことが難しいがコスタリカ裁判所の担当者は「違憲訴訟は個人的な利益のためでなく、みんなのための訴訟です。その費用をどうして個人が負担するのですか」と述べた。違憲訴訟は社会のために行うのだ。訴えた個人が負担する日本の制度がおかしい。
訴状は決まった申請書がないので、どんな用紙でも良い。訴状には、本人の名前と連絡先と訴えの概要がわかれば十分だという。
憲法裁判所とは憲法をめぐる裁判を専門に審議する裁判所である。ドイツ型と呼ばれ、ヨーロッパで一般的だ。日本はアメリカ型だ。韓国も以前はアメリカ型だったが、1988 年に憲法裁判所の制度を採用し、ドイツ型になった。これによって、基本的人権の考えが広がり、国民が憲法を活用する方向に向かう。
諸外国では憲法を使っている
日本では憲法を身近に感じていない。しかし、諸外国では日常的に一般の国民が憲法を使っている。
南米ベネズエラの露店の中に本屋があった。段ボールの上に並べて売られていたのは憲法だ。赤ん坊を抱いた若い母親が憲法を 1 冊買った。それを買ってどうするのか聞いた。彼女はあきれた顔をして、こう答えた「憲法を知らないで、どうやって生きていけといと言うの。憲法を知らないで、どうやって闘えというの」あらためて、どういう意味か聞いた。彼女は「赤ん坊の医療や福祉のことで役所に行くけれど、職員の対応がひどい。そんなときに憲法が役に立つ」という。基本的人権をうたう憲法の条文がある。役所で冷たくあしらわれた時バッグから出して、該当する条文をその場で読み上げる。その上で憲法を役人の眼前に突きつけ「これを実現するのが、あなたの役割でしょう」と指摘するという。
「憲法とは何か」それは「憲法は国民の権利を保障し、権力者の権力のおよぶ範囲を制限するものである」従って「憲法が危機に陥ったとき、国民は闘う責任がある」
日本国民が憲法の本質を理解し、使えば自民党の好き勝手はできなくなり民主主義の国になれると思う。