2021 年3 月号vol .7

MMTが受け入れられない心理学的な理由
MMTは「自国通貨を発行する政府は破綻に陥ることはあり得ないから、高インフレにならない限り、財政赤字を拡大しても問題ない」という単純明快な理論です。
日本は自国通貨を発行し、国債をすべて円建てで発行していますから、破綻することはあり得ません。しかも、高インフレどころか、その反対のデフレです。したがって、MMTによれば、日本は何の心配もなく、財政赤字を拡大できる。
日本は長い間、財政赤字に悩んできました。それが、財政赤字を心配しなくていいという理論が登場した。「よし、これからは、貧困対策とか、少子高齢化対策とか、いろんなことのために予算が使えるぞ」と喜ぶ人がたくさん出そうなものです。
ところが、実際には、みんなで一斉にMMTをバッシングしています。
これでは、悪性腫瘍を心配していた患者が、「悪性ではないから、安心して下さい」と診断してくれた医者を非難するようなもの。
MMTは確かに、異端の学説です。財政健全化をよしとする主流派経済学の見解とは、180度も違う。でも、主流派経済学に基づく経済政策では、ぜんぜんうまくいかず、20年も経済が停滞している、だから、MMTについても、もっとまじめに考えてもよさそうではないか。それなのに、聞く耳すらもたずに一蹴する人ばかり。なんで、そこまでしてMMTを嫌うのでしょうか。心理学によれば、その理由は二つ考えられる。

①言葉の表現の問題
心理学には、メタファー(比喩)が人々の思考に及ぼす影響についての研究がある。その研究では、次のような実験が行われた。
実験の参加者を二つのグループに分ける。一つのグループは「犯罪は市民を襲う野獣のようなものである」という説明を読む。二つ目のグループは「犯罪は市民を病気にするウイルスのようなものである」という説明を読む。その上で、市の犯罪を減らすにはどうしたらよいかと質問する。すると、「犯罪は野獣」という比喩の説明を読んだグループは「警官を雇い刑務所を用意して、犯罪と戦うべきだ」と答える傾向にあった。
これに対して、「犯罪はウイルス」という比喩の説明を読んだグループは「犯罪の根本原因を調査した上で、社会を改革すべきだ」と答える傾向にあった。
このように、犯罪を「野獣」というメタファーで表現するか、「ウイルス」というメタファーで表現するかによって、犯罪の捉え方やその対策についての思考パターンに大きな違いが生じた。
この実験から明らかなように、人間の思考は論理だけではなく、言葉の表現によっても大きく左右される。しかし、この研究とMMTとは、一体何の関係があるのか。実は、大いに関係がある。MMTは「財政赤字を拡大してよい」「政府債務は増やしても心配ない」ということを論理的に説明している。しかし、問題は「赤字」とか「債務」とかいった言葉の表現です。一般に、人々は「赤字」という表現から「減らしたほうがいいもの」、「債務」という表現から「返済しなければならないもの」という考えを連想する。
確かに、家計や企業にとっては、赤字は減らすべきだし、債務は返済しなければならない。しかし、政府は通貨を発行できるという点で、家計や企業とは全く異質の存在だ。
家計や企業と違って、政府は通貨を発行して、その赤字を埋め合わせ、債務を返済することができる。
もっと言えば、通貨を発行できる政府が、その通貨を借りなければならないなんて、おかしいではないですか。ですから、政府のいわゆる「赤字」や「債務」を家計や企業の「赤字」や「債務」のように考えてはいけない。しかし、「赤字」や「債務」という言葉のもつ影響力は、非常に強い。MMTの明快な論理を弾き飛ばすほど強い。多くの人々は、「財政“赤字”を拡大してよい」「政府“債務”が増えても問題ない」という言葉にどうしても抵抗感を覚えてしまう。
ちなみに、財務省も、メタファーのもつ影響力をうまく利用している。例えば、財務省は2019年4月17日の財政制度等審議会の資料の1ページ目で、財政赤字のことを「将来世代へのツケ」と表現している。ところが、その一方で、同じ財務省が作成した個人向け国債の広告動画はこう言っています。「それは、未来への贈り物。個人向け国債」つまり、財務省は、国債発行を減らしたい時には、「将来世代へのツケ」、国債を買ってほしい時には「未来への贈り物」というように、メタファーを使い分けている。
ちなみに、どっちのメタファーが正しいのかと言えば、それは圧倒的に「未来への贈り物」のほうです。というのも、誰かの債務は、別の誰かの債権です。ということは、政府の債務は民間の債権です。つまり、国債は国民の「資産」です。そして、政府は、国債の償還のために徴税する必要はありません。政府は借り換え(国債の償還のために、新たに国債を発行すること)を繰り返せばよいのです。しかも、国債を発行して財政支出を拡大し、インフラや教育、技術開発のために使えば、将来世代に「ツケ」どころか「資産」を残すことができる。論理的に考えれば「未来への贈り物」のほうがより正確なメタファーです。
しかし、「将来世代へのツケ」のメタファーの影響力のほうが強力です。

②センメルヴェイス反射
通説にそぐわない見解を拒否する。
「センメルヴェイス」とはイグナーツ・センメルヴェイスという医師の名に由来する。1847年、ウィーン総合病院に勤務し、出産した母親がさんじょく熱という病気にかかって死亡する現象を観察して、分娩を担当する医師の汚れた手が原因ではないかと考えた。
そこで、分娩を担当する医師の手を消毒することにしたところ、さんじょく熱による死亡が劇的に減少した。
センメルヴェイスはこの大発見を上司の医師に報告したが、医師たちは誰もこの大発見を受け入れようとしませんでした。この発見が事実だとすると、医師たちは「長年、医師が素手で大勢の母子を殺してきた」ということになってしまう。主流派の医師たちにとってそんな事実は、とうてい受け入れられるものではなかった。こうして、主流派の医師たちはセンメルヴェイスの発見を一蹴し、無視し続けたのです。結局、1850年、センメルヴェイスはウィーン総合病院を解任されました。その後もセンメルヴェイスは、自らの主張を唱え続けましたが、1865年、彼は精神科病院に送られてしまいました。センメルヴェイスは精神病院から逃亡しようとしましたが、守衛たちに取り押さえられ、暴行を受けました。そしてその時のケガがもとで、死亡しました。この気の毒なセンメルヴェイスの名をとって、少数意見を拒否することを「センメルヴェイス反射」と呼ぶようになったのです。
最近の神経科学によれば、この「センメルヴェイス反射」は、脳の働きによるものであるようです。ある研究によれば、人間の脳には、多数派の見解に逆らおうとすると、それを修正して、多数派の意見に同調しようとする機能があることが分かっています。
また、別の研究では、脳は、多数派の意見に同調するために、実際の知覚すら変えてしまうという結果がでたとのことです。
どうやら、人間の脳は少数意見を唱えたり、それに耳を傾けたりするのには、向いていないようです。特に日本人は、多数派に同調し、少数意見を排除する傾向が強いと言われる。官僚や経済学者といった人たちが、新自由主義の「認識共同体」から抜け出そうとしないのも、これで分かります。考え方を変えるのを、脳のレベルで拒否している。
しかも、自分たちが正しいと信じてきた財政健全化やグローバル化、あるいは「ムチ型」成長戦略のせいで、多くの国民が不幸になり、路頭に迷ったり、亡くなった人も少なくない。そんなことを官僚や経済学者たちは、今さら認めたくない。センメルヴェイスを無視し、追放したウィーン総合病院の医師たちと同じです。
しかし、もしそうだとすると、これは大変困ったことです。なぜなら、MMTや「アメ型」成長戦略がどんなに正しくても、それが少数意見である限り、多くの人々は受け入れようとはしないということになるからです。
これでは、正しい経済政策は永遠に採用されず、日本経済はいつまでたっても停滞から抜け出すことができない。

MMTと認識共同体
もし、MMTが正しいとすると、デフレの日本は、財政赤字を減らす必要はないということになり、消費税増税の根拠が吹っ飛んでしまう。財務省が神経質になるのも当然と言える。財務省は2019年4月17日の財政制度等審議会における資料の中で、MMTをとりあげました。その57ページから60ページまでを見ると、世界の著名な経済学者や政策当局の幹部など総勢17人によるMMTに対する批判のコメントがずらりと並んでいる。
中にはツイッターのつぶやきまである。よくもまあ、こんなに精力的に集めたものだ。こんな凄い資料を見せられたら、普通の人は「なんか、MMTって、きなくさいな。やっぱり、将来世代へのツケを残しちゃいけないから、消費税増税もやむを得ないよなあ」という印象を持つようにされてしまう。ところが、よく見ると、この財務省が頑張って作成したMMT批判の資料には、実に、不可解な点がある。というのも、この資料に載っているMMT批判者の中には、財務省が全力で否定したくなるような主張をする者が何人も含まれている。 例えば、クリスティーヌ・ラガルド氏(IMF専務理事)がその一人です。ラガルドはMMTについて『「数学モデル化されたのを見ると魅力的で、有効であるように受け止められる」とコメントし、「ある国が流動性のワナにおちいったり、デフレに見舞われたりするなどの状況下では、短期的には効果的かもしれない」との見方を示した』
-2019年4月12日ブルームバーグ-
日本はデフレだから「MMTは、今の日本に効果的かもしれないと」ラガルドは考えているということになる。
他にも、ロバート・シラー氏(イェール大学経済学者)は2013年に、始まったばかりのアベノミクスへの評価を問われて、こう答えた。
「最も劇的だったのは、明確な形で拡張的な財政政策を打ち出し、かつ、増税にも着手すると表明したことだ。日本政府は対GDP(国内総生産)比で世界最大の債務を負っているので財政支出を批判する人が多いが、ケインズ政策によって最悪の事態が避けられてきた面もあるのではないか。一方で、安倍総理は消費税増税も行うと明言しており、財政均衡を目指した刺激策といえる。私は、このような債務に優しい刺激策を欧米も採用すべきだと主張している。
現在、アメリカでは拡張的な財政政策を提案しても政治的に阻止され、困難な状況にある。
「増税」という言葉は忌み嫌われている。世界中で財政緊縮策が広がる中で、日本の積極策がどういう結果になるか注目している」-2013年10月17日東洋経済-
シラー氏は消費税増税に賛成はしているが、同時に、積極的な財政出動にも大いに期待もしていた。
もっと踏み込んだのは、ローレンス・サマーズ氏(元米財務長官)です。
サマーズ氏は、日本の経済政策について問われるとこんな反応をしている。
『安倍政権の財政政策については、柄にもなく外交的な態度を見せ「少し矛盾している」と口を濁した。さらに突っ込んで聞くと、2014年4月に消費税を引き上げるのは間違いだと警告したと述べ、「その後起きたことで私の考えを変えたことは何もない」と言う。』
-2016年1月12日-フィナンシャルタイムズ-サマーズ氏は2014年の消費税増税は間違いだと日本政府に警告したと言っている。日本政府は、サマーズ氏の警告を無視したわけです。
さらに露骨なのは、ポール・クルーグマン氏(ニューヨーク州立大学経済学者)です。
『実際、アベノミクスが実行に移されてから、株価も上昇し、景気も回復基調に入ろうとしていた。しかし、私はここへきて、安倍政権の経済政策に懐疑心を持ち始めています。というのも、安倍政権はこの4月に消費税を5%から8%に増税し、さらに来年にはこれを10%に増税することすら示唆しているからです。消費増税は日本経済にとっていま最もやってはいけない政策です。今年4月の増税が決定するまで、私は日本経済は多くのことがうまくいっていると楽観的に見ていましたが、状況が完全に変わってしまった。すでに消費増税という「自己破壊的な政策」を実行に移したことで、日本経済は勢いを失い始めています。このままいけば、最悪の場合、日本がデフレ時代に逆戻りするかもしれない。そんな悪夢のシナリオが現実となる可能性がでてきました。』
-2014年9月16日-週刊現代インタビュー-クルーグマン氏は10%への消費増税は、悪魔のシナリオだとまで言い切っています。
アデア・ターナー氏(英金融サービス機構元長官)もまた、消費増税の延期を提言している。それどころか、財政赤字を拡大し続けろとまで言っている。
「日本政府と日銀に対する提案は3つある。第一に政府は2019年10月に予定している8%から10%への消費税率引き上げを再延期し、高水準の財政赤字を計上し続けるべきだ。
民間貯蓄超過を穴埋めするためには、相当規模の公的赤字が2020年半ばまで必要なことを甘受すべきである。」
『これらの政策の組み合わせは、根強いデフレ圧力と公的債務問題に対して、日本が取り得る最も有効な打開策になると考える。日本は追加的な政府支出の効果が将来の増税予測によって相殺されるという「リカーディアン均衡」にはまってしまっている。しかもかなり強いリカーディアン均衡だ。このワナから抜け出すためには、(中央銀行が財政赤字を穴埋めする)「マネタリーファイナンス」を国民に向けて明示的に行う必要がある。』
-2018年1月10日-ロイター
これを読むと、なぜターナー氏がMMTを批判しているのか分からなくなります。
財務省がわざわざツイッターでつぶやきを拾ってきたオリヴィエ・ブランシャール氏(元IMFチーフエコノミスト)も、2012年の段階で、すでにこんな意見を述べていた。
『「日本は多くの問題に直面している」と述べ、「外需の弱さ、デフレ、財政再建という3つの課題」を挙げた。財政再建については、「そのスピードが重要。財政再建によるマイナスの乗数効果は、通常より強まっている。流動性の罠に陥っている先進国もあり、金融政策の効果が通常より期待できないため」と指摘、財政再建をあまり急ぐと世界経済にとって好ましくないとの認識を示した。こうした認識のもとで、日本についても、すでにゼロ金利状態が続き、金融政策の効果が薄いことや、低金利による利払い負担は小さいことなどから、急激な財政再建はかえって好ましくないとの考えを示した。』
-2012年10月9日-ロイター
さらに、ブランシャール氏は、2019年5月、「日本の財政政策の選択肢」というレポートを公表しました。
その中でブランシャール氏はプイマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字を拡大しろとか財政支出を増やせとか、日銀の量的緩和政策は非生産的だとか、超低金利はかえって需要を縮小するぞとか、日本政府の経済政策をほぼ全否定している。
さらに、ブランシャール氏はこの「プイマリーバランスの赤字を拡大しろ」という提言をわざわざツイッターでもつぶやいています。
このように、財務省がMMT批判者として引っ張り出してきた論者のうち6名は、いずれも世界的に著名な識者ですが、デフレ下での積極的な財政出動に賛同しています。
中でも、サマーズ氏、クルーグマン氏、ターナー氏、ブランシャール氏は、日本を名指しして、財政赤字を拡大すべきだとか、消費増税はやめるべきだとか、はっきり言い切っている。財務省は、MMTを批判しようとして、自分たちを批判する論者を引っ張り出してきてしまったようです。
また、ラガルド氏、シラー氏、サマーズ氏、クルーグマン氏、ブランシャール氏は、主流派経済学に属する識者です。その彼らが、デフレや低インフレの状況においては、積極的な財政政策が有効であると論じるようになっている。
そして、シラー氏以外の識者の議論は、「高インフレでない限り、財政支出を拡大してよい」というMMTの主張と結論において大きな違いはない。
MMTに対する批判の多くは「高インフレになるまで財政赤字を拡大すると言っても、インフレの制御は容易ではない」というものでした。しかし、その批判は、MMTだけでなくラガルド、シラー、サマーズ、クルーグマン、ブランシャールといった主流派経済学の権威の方々にも向けられるべきでしょう。彼らだって、「デフレや低インフレのうちは財政赤字を拡大すべきだ」と言っているのですから。
主流派経済学者たちが、積極的な財政政策を主張し始めた。これは、注目すべき大きな変化です。なぜならば、財政政策を軽視していた主流派経済学・新自由主義の強固な「認識共同体」が、いよいよ崩れ始めたということかもしれない。
何より、あの異端視されてきたMMTが、数多くの批判を受けながらも、アメリカでも日本でも、これほど大きな話題となっていること自体が、エリートたちの新自由主義の「認識共同体」が動揺していることを示すものである。
財務省がMMTを批判しようとして、財政健全化を批判する識者を持ち出すという失態を 演じたのも、彼らの属するエリートの「認識共同体」の動揺を示す現象なのかもしれない。そうだとすると、これは、歴史的に大きな変化が起きようとしていると言えるかもしれない。しかも、世界的な大転換です。
次月へ続く