2022 年5 月号vol .21

権力者の横暴を防ぐ憲法が危ない
『自民党が壊憲して創設しようとする緊急事態条項』
立憲主義の国が全体主義の国になってしまう

欧州諸国におけるメディア規制
国民投票の長い歴史を持つ欧州各国の国民投票におけるメディア規制を見てみます。ドイツとアメリカは国民投票を制度化していません。

イタリア
イタリアは過去 60 回以上国民投票を実施している。
・テレビスポットCM は原則禁止。ローカル局で回数均等の場合のみ許可。
・国営・民営放送ともに公的に均等配分される広報時間が設けられる。
・テレビ放送関係者に対し、不偏不党を保つ細かな法規定がある。
・新聞の意見広告についても均等な広告枠確保が義務付けられている。

フランス
フランスは過去 20 数回の国民投票を実施している。
・テレビ・ラジオスポットCM は全面禁止。
・公的に配分される無償広告枠でのCM 放映は可能。
・新聞・雑誌等での広告展開に関する規制はなし。
・賛成・反対両派の広報活動を監視する第三者機関が設置される。

イギリス
イギリスは 2000 年に国民投票法を制定。2016 年 6 月 23 日に EU 離脱の是非を問う国民投票が実施され、その結果、離脱が決定した。
・テレビスポットCM は全面禁止。
・公的に配分されるテレビの広報スペースは無料。
・新聞・雑誌等での広告展開に関する規制はなし。

スペイン
スペインではフランコ独裁時代(1935~1975)に国民投票が独裁を正当化する手段として利用された歴史的経験があるため、国民投票の実施は厳しく制限されている。
・テレビ、ラジオスポットCM は全面禁止。
・公的に配分されるテレビの広報スペースは無料。
・新聞・雑誌等での広告展開に関する規制はなし。

デンマーク
デンマークは 2015 年 12 月 3 日、政府が提案した EU との連携拡大を問う国民投票を実施 したが、反対票が 5 割を超え否決された。
・テレビCM は全面禁止。ローカルラジオのみ CM 許可。
・新聞・雑誌等での広告展開に関する規制はなし。

国民投票を実施している国は他にも数多くあるが、経済的規模や人工規模の大きい欧州 主要国はご覧の通り、軒並みテレビ CM(特にスポット CM)を禁止していることが分かる。やはり、映像と音で情緒に訴える力が強いテレビ CM は、どの国でも国民投票の趣旨にそぐわないことが明らかになっている。
新聞・雑誌広告に関しては特段の制限がない。数百万部を発行する日本の全国紙のような 新聞は存在せず、数万~数十万部程度で購読者層が異なる新聞が数十種類発行されている。おのずと 1 回の掲載料は安く、日本の全国紙のように 1 回の掲載で数千万円かかるようにはなっていない。だから総広告費も日本に比べると相当抑制される。
いずれにせよ、欧州の主要国でテレビのスポット CM が軒並み禁止されている事実は、テレビ CM という宣伝媒体の怖さを十分に物語っている。各国がそれぞれの国民投票に おける歴史の中でテレビ CM 規制の必要性を感じ、同じように規制の網をかけている意味を、日本でも十分に検討する必要がある。
さらに、今後議論の対象となるのはインターネット上の広告展開だろう。ポータルサイト上の CM 放映に規制をかけても、個人が SNS などでそれらを転用するのは止めようがない。今後、日本でもネットとテレビの逆転の時代がくるから、この分野の規制を早くから考えていく必要がある。ヘイトや虚偽発言がネットにあふれることを防ぐためにも、前述した監視・検証機関は必要です。

国民投票のルール改善を求める会
国民投票法の問題点を憂う学者やジャーナリストがメンバーとなっている。
2017 年 7 月 10 日に衆参憲法審査会長と民放連会長に対しそれぞれ要望書を提出した。

衆参憲法審査会長への要望
要望内容は
①国民投票運動の費用に関して、100 万円以上の支出は登録義務を負う。
②国民投票運動に関し、外国人・外国法人からの寄付の禁止。
③100 万円以上の収入及び支出の報告義務。
④民放連・日本新聞協会に対し、広告料金や機会の平等を確保するための自主的な検討を促すこと。
などである。現状では一切ない資金や寄付金の登録・報告義務や上限金額の設定などは 法改正を必要とするとした。資金の登録・報告義務がなければ、国民投票実施後の検証 ができない。民放連や新聞協会に対しては法的な強制を課すのではなく、国会招致による確認などによって、自主的活動を促す形式を提案している。

民放連への要望
国会が発議した憲法改正案に関する広告放送(①賛成投票、反対投票を勧誘する表現を含むもの、 ②賛成、反対の意見表明にとどまるもの、のいずれの形態を含む。)の料金等 の条件について、憲法改正案に対する賛成、反対の立場で不平等が生じることがないよう公平なルールづくりを行うこと。
2005~2007 年の国民投票法起草当時、広告料金や放送時間の公平性について明文規定を置くべきではないかという指摘があり、政党間で議論が行われた。しかし、明文化は政府や国会がメディアに対する介入を根拠づける恐れがあるとして見送られ、事業者の自主的取り組みを尊重することになった。
民放連は 2007 年の国民投票法成立時に「意見広告の取り扱いについては、放送事業者の 自主・自律による取り組みに委ねられるべき」との会長コメントを出した。にもかかわらず以後 10 年間、民放連は自主的な改善策について何も議論してこなかった。
メディア側が自主規制について議論しないのは、規制によって自らの利益機会が減少する ことを恐れているからだ。民放連にとって、スポット CM の禁止を自ら提案しては大幅な売上げ減となるから、そもそも議論などしたくはないのだ。その消極的な姿勢は、国民投 票法に関するテレビや新聞の報道に如実に表れている。これほど重要な問題を、大手メディア、特にテレビ局は全く報道していない。新聞でもメディア規制の必要性を報じた全国紙 は朝日、毎日の 2 紙にとどまっている。
現行法のままでの国民投票実施はあまりにも不公平な要素が強く、法による規制が作られる前に自主的な改善策を議論すべきだ。しかし結果的には過去 10 年間、何の動きもしてこなかったので、その無策を批判し、早急に自主的ルールの策定を行うことを要望した。法によって事業者に対しあれこれ規制するのは、法律を策定する際に決めてしまえばよいのだから、ある意味簡単である。しかしそれでは事業者の自由が損なわれるとして自主的裁量を任されたのだから、特に民放連にはその付託に答える義務がある。

国民投票法は多くの問題点が指摘されているが、広告を野放しにしていることが最大の問題点である。
憲法改正国民投票といっても、それ何という、国民が圧倒的に多いと思う。そういう状況で壊憲派はあらゆる手段を使って、壊憲をしようとたくらんでいる。

まとめ
広告とは、言葉、映像、音楽、デザイン等のありとあらゆるテクニックを駆使して人々の思考や意識を誘導する技術だ。
電力会社を中心とした「原子力ムラ」と広告代理店が一体となり、巨額の広告費を投じて国民に「安全神話」の刷り込みと、「反原発」を訴える報道を間接的に封じ込める機能をになってきた。その結果、日本は未曾有の原発事故を起こしてしまった。
それと同じことが、憲法を変える(とても改正とは言えないので)国民投票で起きれば どうなるか。国会発議が行われ、国民投票となった場合、その時点で壊憲・護憲どちらに投票するかを決めていない人々は、様々なメディアに接するだろう。投票までの期間は 60 日~180 日と非常に長く、テレビ・ラジオ・新聞等を総動員して「広告合戦」が展開された場合、「資金力」が国民投票の結果を左右する。
広告合戦には数十億、数百億円単位のカネがかかる。自民、公明には資金量が豊富な支援団体などがある。
国民投票となれば、電通が賛成派の広告宣伝を請け負うことになる。豊富な資金と賛成派だけが持つ「発議スケジュール」さえあれば、電通はあらゆるメディアの優良広告枠を 事前に買い占め、賛成派の広告ばかりが目立ち、護憲派の広告がほとんど目につかない 状況を作り出すことができる。

宣言と現実との乖離がある場合は宣言を優先させる
「戦後民主主義に僕から一票」から引用
ご存知の人もいるかと思いますが、幣原喜重郎が憲法 9 条 2 項をマッカーサーに進言してできたものである。押し付けられたものではない。
憲法制定過程を見ていたはずの世代の人たちが、それについて証言してくれなかったからだ。知っていることを言わないまま、沈黙したまま死んでしまったからだ。
憲法を自然物のように見せていたのは、先行世代の作為だった。戦中派世代の悲願だった。日本国憲法をあたかも自然物であるかのように絶対的なリアリティーを持つものとして私ら(70 歳前後)に提示したのは彼らである。
戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を私たちと同じようにはとらえていないのだと思う。だから、護憲論が空疎になる。
世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ、非現実的であるし、宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるかは疑わしい。
例えば 1776 年公布のアメリカ独立宣言は「万人は平等に創造された」と謳っているが、実際はそれから後も奴隷制度は続いた。奴隷解放宣言の発令は 1862 年であり、独立宣言から 100 年近く経っている。むろん、奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけではない。
公民権法が制定されたのは 1964 年。独立宣言から 200 年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけではない。しかし、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」と主張するアメリカ人はいない。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なのだ。
日本だけが違う、宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちがいる。それも政権の座にいる。
世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に書いた餅」である。
戦中派の沈黙には独特の重みがあった。実存的な凄みがあった。「その話はいいだろう」といって低い声で遮られたら、もうその先を聞けないような迫力があった。だから、彼らが 生きているあいだは歴史修正主義というようなものの出る幕はなかった。仮に「南京虐殺はなかった」というようなことを言い出す人間がいても、「俺はそこにいた」という人が現にいた。そういう人たちがいれば、具体的に何があったかについてつまびらかに証言しない までも、「何もなかった」というような妄言を黙らせることはできた。
歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこも同じだ。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ゾロゾロと出てくる。現実を知っている人間が生きているあいだは「修正」のしようがない。

2021 年 10 月号、12 月号、2022 年 1 月号~5 月号と 7 ヶ月にわたって書いてきました「緊急事態条項」がいかに危険なものか、そして、憲法を壊そうとしている自民党などが立憲主義の日本を全体主義の暗黒国家にしようとしていることが少しは分かっていただけたのではないかと思います。

参考文献
緊急事態条項が通ってしまった未来からの伝言憲法に緊急事態条項が必要か
未来ダイアリー
私たちは政治の暴走を許すのか
日本人は民主主義を捨てたがっているのかメディアに操作される憲法改正国民投票 広告が憲法を殺す日
戦後民主主義に僕から 1 票
前夜 日本国憲法と自民党改憲案を読み解く