2022 年11 月号vol .27
統一教会に洗脳された自民党 先月号から続く
統一教会が行う洗脳:セミナー
①ハートクリエーション・セミナー 2 日間
潜在意識開発を目的とした心理学セミナーに類したもの。セミナーの目的は「セミナーの目標は今までいかに人生を無意義に過ごしてきたか、両親を愛さなかったか、憎んできたか、もっと愛して欲しかったか、しかし、その両親にも幼い頃があり、子どもの育て方も教わらなかったし、かつては自分と同じ思いをしたかもしれない、ということを自覚させることにある。統一教会の教えでいう堕落論につながる」こんな 2 日が終わる時、小さな花束と卒業生の寄せ書きを書いた色紙が手渡される。しかしこれも次のコースへつなぐための手口なのだ。
セミナーが終わったところで、日時を約束してインタビューが行われる。セミナーで何を感じたか、親子関係や両親の関係、家族構成、小さい頃からどんな育て方をされたかを 聞き出すのがインタビュアーの仕事だ。
これは霊感商法で家系図を作るために行われる。相手の感動の度合いや敏感性を上司に報告。そこで方向性を決める。
②グローイング・セミナー 2 日間
「ライフボート」:船が沈没するという設定で船長の役を演ずる。「幸福のチケット」と書かれた紙が 3 枚渡される。死んでいく自分が誰かを指名し、指名された人が決意を表明する。例えば:「わかりました。必ず私一代で成し遂げます。人を愛し、信じ、生きていきます。安心して霊界へ行ってください」色々なゲームをしているうちに、参加者からは「宗教じゃないか」という疑問がでる。 それに対して、「固定観念や判断、利害損得を考えていては、潜在意識は引き出されない。イエス・キリストは無念な死に方をした。しかし、再臨すると約束された」
③プレッシング・セミナー 3 日間
先祖の願いを知り、その責任を果たさないと自分でなく先祖が不幸になるという意識を植え付ける。
さらに自分が十字架上のイエス・キリストやペテロになるといった状況設定もある。
3 回のセミナーに参加すると秘密の感情を共有し、結束が強まる。文 鮮明の講演などが行われる。やがて白い布に包まれた大きな写真がおごそかに運ばれてくる。そこで「この方が再臨のメシアだ」といって文 鮮明が紹介される。
「イーストセブン」という通いの修練所。ここに 40 日間通うことを進められる。統一教会の研修となっている。当然のことだが、セミナーは全て有料です。
あらゆるテクニックを使って、統一教会のために伝道や献金、霊感商法に専念するように洗脳する。
国際合同結婚式
1982 年 3 月に入信した、元信者の手記より
「個性完成」といわれ、天から与えられた素質を一人一人が十分に生かすことがよしとされたが、しだいに自己否定が大切だといわれ、献身をすすめられた。仕事も貯金も、友人、親族の感情も捨てなさいと強く説得された。
珍味売り、印鑑販売など、様々なことをさせられながらも、1 番の原動力は “祝福”(合同結婚)の 2 文字だった。集団生活、禁欲生活、嫌いな仕事の中で、完全ではない自分の心、性格に対する嫌悪感を開放してくれるのは “祝福” であり、その恵みとして与えられる血統転換しかないと洗脳された。
85 年頃から、祝福があると言われ 10 回以上の祝福講座があった。
祝福講座は、相手がどんな人であろうと神の代身である文 鮮明によって祝福されるのが唯一の救いになると、教えられていた。
88 年 10 月、突然、婚約のための写真を撮るように言われ、教団で撮影した。そして、両親へ報告した。しかし、教会の上司は激昂した。
「両親に “祝福” があることを知らせたならば、それはすなわち神聖な神の儀式をサタン世界に知らせたことになる。もしそれが “祝福” に反対している父兄やマスコミに知られてしまったならどう責任がもてるのだ」ということであった。
韓国の統一教会は、信者の教育に日本のような献身制度をとっていないため、教会員であっても飲酒や男女交際をしている。また、韓国人は派手な色の洋服を好むので、そのような服を買うよう指示があった。それまでの教えは、女性はなるべく地味な服装で 化粧も控えるように言われていたのに、180 度変化した指示だった。
日本から韓国に持っていくように言われた 50 万円の入った白い封筒を係りの人に渡し、その時、初めて私の “相対者” となる人の写真を渡された。
午前1時から聖酒式が始まるというので、あわてて白いワンピースに着替えた。
いよいよ “聖酒式” が始まる。この時のために今までの苦労があり、忍耐があったのだと思った。そこで、文夫妻を初めてこの目で見た。この人のためにこれまで頑張ってきたんだと思うと、涙が自然にこぼれ落ちてきたのを覚えている。まるで雲の上にいるようだった。血統転換のためには “真の父母の愛の象徴” と血が入っているという聖酒を飲まなければならない。一瞬とまどいが頭をかすめた。このワイン色の液体の中には文 鮮明の精液が入っていると言われていたからだ。
聖酒式が終わり、やっと体を休めたのは夜中の 3 時をすぎた頃だった。
工場の廊下で毛布 1 枚にくるまり、ざこ寝をした。その時、日本人男性は外で寝るように指示されたのに、韓国人男性は屋内で寝ていた。
教会の教えに、韓国がアダム国家で日本はエバ国家だというものがあり、日本人は韓国人に尽くすべきだという教えがこんなところにも出ているのだと思った。
[コーヒーブレイク]
日本の総理大臣の出身地で一番多いのは、山口県田布施村である。そこは地政学的に渡来人が多く、在日部落であった。何といっても、徳川幕府から明治に時代を変えた長州藩の膝元の出身者が多くいた。替え玉の明治天皇(大室 寅之祐)を仕立てた、伊藤 博文(初代) 山県 有朋(3 代)により、国民の生活を守らない統治機構が形作られた。その後、桂 太郎 ,寺内 正毅、田中 義一、岸 信介、佐藤 栄作、安倍 晋三と 8 人の総理大臣が出ている。
また、鹿児島県田布施村も同様である。そこの出身は小泉純也(小泉純一郎の父)である。小泉純一郎のした悪事は枚挙にいとまがない。学生時代から「女癖が悪く」ナンパしに行く時は「結城純一郎」と名乗っていた。1967 年 4 月慶大在学中に起こした婦女暴行、レイプ疑惑に関して東京地裁で係争中の裁判を 2004 年 6 月 10 日に斉藤つよし議員が質問し、続いて 6 月 14 日に平野貞夫議員が一連のハレンチ事件を国会で取り上げた。
「ロンドン大学留学」は聴講生で単位の取得はない。父・純也が防衛庁長官をしていて警察にニラミがきいて事件をもみ消して、ほとぼりを覚すためにイギリスへ行かした。
小泉が総理になれたのは、田中真紀子が経世会への怨念で橋本龍太郎を勝たせたくない。その一点だけで小泉を応援した結果である。
自民党が嫌韓、嫌中などをしているのは、自分たちの出身を知られたくないためにしていると言われている。
統一教会では自民党を駒として使い、そして、閣僚になるには統一教会に絡んでいる者が選ばれている。
総理大臣や衆院議長、各大臣が統一教会の現在の総裁の韓 鶴子に敬意を評した言葉使い呆れるとしか言いようがない。また、総理官邸に招待したり、衆参議院特別会議室を使わせたりして、日本の重要機密などの安全保障が守られるのか、はなはだ疑問である。
防衛費等にムダなお金を使わないで、反社会組織を解体させたほうがお金を使わずに済むが無能集団では思考力がないからダメ。
本題にもどります。
聖水、祝祷、指輪の交換,宣誓があり、合同結婚式のクライマックスである蕩減棒の儀式を迎えた。蕩減棒の儀式とは、エバから始まった下半身の罪をつぐなうため、木製の棒で
夫となる男が妻となる女のお尻をたたく、そして次に女が男のお尻をたたくといものである。片田舎の粗末な倉庫を結婚式会場にあてがわれ、眠るところもなく、食べるものも満足に与えられないまま、ただ疲労感だけが残った。
式が終わると指示があり、これからの数日間は、それぞれの相対者がアベル(上司)であると言われた。再びソウルに集合する 11 月 7 日までは、今まであったこともない人、相対者がすべての頼りとなる。心細くてたまらないが仕方がなかった。
教会に入って 7 年間、男女関係は特に厳しく教育されてきた。異性と肩が触れるだけでも「悪」とされ、その都度、水行や断食をしてきたので、男性と 2 人きりで行動すること自体が不安でならない。そのうえ言葉も通じないので筆談かジェスチャーしか意思を伝えあう手段がなかった。
11 月 1 日、再度相対者の親族を交えた挙式が地方の教会で行われた。相対者の生活状況は日本で教えられていた以上にショックなものであった。田舎道を車で揺られながら山のふもとの農村に到着した。
両親の住む家は、小屋のようなところだった。しかし、何より辟易したのは、トイレだった。穴があるだけのもので、夜は灯りもなく、落ちるのではないかと不安のあまり腹痛がしたほどだった。また、男性は飼っていた牛の肥えだめで用を足していた。もちろんお風呂も水道もなく、水回りはすべて井戸に頼っていた。
想像を絶する生活水準に戸惑ったのは私だけではなく、ほとんどの日本人女性はかなり驚いた様子だった。
11 月7日にソウルに集合し、韓国の教会で 1 ヵ月ほど過ごしたその間に、教会の指示で入籍をさせられた。韓国で、日本人が「世界日報」の活動をするためには、便宜上 “同居ビザ” が必要だった。
その後、観光ビザの期限があり、いったん日本に戻った。100 万以上の活動資金を集める ため、アルバイトもさせられたが、とうてい集められないので、両親に土下座して 150 万円出してもらった。両親には祝福前に 40 万円を出してもらっていたので、とても辛かった。
89 年1月15日再度韓国へ行き、それからは釜山のある教会で「世界日報」の配達、拡販の仕事をさせられた。1 日のスケジュールは午前3時半起床、4 時に事務所に行き、それから配達、7 時から近所や教会内の清掃、そして朝食。午前中は韓国語の勉強。午後1時から 5 時ごろまで拡販のための訪問。夕方は伝道活動、夜8時頃夕食、9 時反省会、11 時就寝というハードスケジュールであった。
活動資金として集められていたお金は、どうやら韓国の「世界日報」を作るための資金に当てられていたようだ。月に約 7000 円をもらったが、とても少額で満足な買い物など何もできなかった。
この頃、教会から早く “3 日儀式” をするように言われたが、月に 1、2 回相対者が私の所属する教会を訪れる程度で、相手のこともよく理解できなかった。
日本で教えられていたのは、33 歳以上の女性が家庭を持つことを許され、その時に “3 日儀式” が行われるということだった。韓日はその条件に当てはまらなかった。しかし、教会の指示と相対者が涙ながらの懇願に逆らうことができず、89 年 3 月10日から 3 日間、ホテルの 1 室を借りて “3 日儀式” を行った。いま考えれば、思い出したくもないが、その時は全く義務的に、メモを見ながら行った。
そして6月、急に教会から日本に帰国して万物復帰(出稼ぎ)してきなさいと命令がされた。韓日の祝福を受けてから特に恨みに思えたのは、自分が日本人に生まれたということ。統一 教会では、韓国至上主義的な考え方が強かった。
それから 3 年、いよいよ同居するよう教会から指示がああった。その時、私には「一緒に住みたくない」という気持ちがあった。教会からは、嫌いな相対者であればあるほど、人格を完成させ、家庭を完成させるのにはよいと教えられていたが、祝福を受けた先輩家庭を見ても、不仲であったり、不倫さえある。
文 鮮明自体離婚歴があるのに、どうして信者にふさわしい相手を探すことができるのだろうか?また、文の長男にしても、祝福後、他の女性を追いかけていたという話は韓国ではあまりにも有名だ。
いままでは、親の反対を押し切って入信したことがあり、いまさら脱会できないという意地や、私自身、子孫に悪い事件がおこり地獄に落ちるのではないかという脅迫観念が、真実 を知る勇気を妨げていた。
私の一生を考え直してみなくてはと思った。これまで 10 年間、目をそむけていた反対派の意見も勉強してみようと思った。それは驚きの連続であったが、統一原理、メシアに 関する矛盾が正しく理解できた。統一原理が間違いであり、文 鮮明がメシアではないことが納得できた上で、統一教会脱会と離婚を申し入れた。
相対者は日本まで私を説得にきた。帰国の前日、相対者に東京駅の構内で殴る蹴るの暴行を受けたが、その後、印鑑を押した離婚届けが韓国から送られ、正式に離婚した。
私は、汚れた世の中が嫌になって統一教会に入った。しかし、実はそこも、私が描いた理想とは違った世界であった。
10 年間、無報酬で朝から晩まで働き、理想としていた結婚にも裏切られ、悔いても悔やみきれないが、もうこれ以上の犠牲者を出してはいけないと思う。無知であったがゆえに、統一原理にすっかり騙された。宗教法人を隠れみのに、若者の「社会のため、人のために生きたい」という純粋な心を利用する巨大な詐欺的犯罪集団を許すことはできない。
統一教会と同様に自民党も統一教党、反社党など名称変更したらよいのでは自民党は党名とは真逆のファシズムで国民を無視した政策を行う政党である。
文化庁を所管する文部科学省の下村博文大臣が文化庁に統一教会の名称変更を強引に認めさせたことは永田町では周知のことである。
「実態が変わっていないのに受理できない」としていた文化庁。下村の圧力で名称変更されてしまった。2015 年 10 月12日、幕張メッセでの名称変更記念式典には多数の議員から祝電が届いた。
文科大臣執務室で世界日報記者の取材を受け、世界日報の木下義昭社長と会談していた。
名称変更後は新名称しか表記されないチラシを使った偽装勧誘が横行した。
次月へ続く
